日時 |
目的地 |
所在地 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2014年9月30日 |
奥医王山(989.1m) 白兀山(896m) 夕霧峠(約840m) 見上峠(約400m) |
石川県金沢市/富山県南砺市 石川県金沢市 石川県金沢市/富山県南砺市 石川県金沢市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
行動日程 |
見上峠(駐車したところ)11:30〜11:45医王の里(キャンプ場)11:45〜12:30西尾平12:40〜13:25白兀山13:50〜14:15夕霧峠14:30〜14:50奥医王山15:05〜(途中10分休憩)〜16:40菱池小原登山口16:40〜17:30見上峠(駐車したところ) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参考資料 |
Web情報:国土地理院/基準点成果等閲覧サービス(三角点情報) 文献 : | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
これまでの山行記録 |
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≪注:赤枠で囲った写真にマウスポインターを当てると、ルート表示や説明が現れます。≫ 金沢に行ったついでに医王山に登る。医王山は金沢市街から近く、金沢市民に最も親しまれている山だ。医王山という名前の単独の山はなく、金沢市街の東方、富山県との境にある山塊を指す。北陸の名だたる山同様、ここも泰澄大師の開山との謂れを持ち、薬草が多いことから唐の育王山にちなんで育王仙と名付けられたそうだ。また、第2回国民体育大会(昭和22年)の折、ここで登山大会(第1回国体では登山競技が行われていないため、登山大会としてはここが初開催となるそうだ)が開かれたというから、石川県の市民登山の発祥の地といっても良いかもしれない。
医王山は初めて登る山。色んなコースがあり、物色していたら、峠を二つ周回してこれるコースがあったので、それを選択。見上峠登山口から白兀山に登り、夕霧峠から奥医王山に縦走、菱池小原登山口に降り、車道を歩き見上峠に戻る周回コースだ。朝遅い出発だった上、金沢市内のなれない道を走ったので、少々迷ってしまい。登山口の見上峠に着いた時はすでに11時を回っていた。見上峠は今でこそ立派な車道が通っているし、医王山スポーツセンターのほうから来ると、平坦な道を走ってくるので、峠には見えないが、反対側から見ると、かなり高いところにあり、見上げるように高かったから、その名がついたのだと思う。ここは医王山への登山拠点のひとつになっているようで、峠には山小屋風の喫茶店まであった。登山口のすぐ近くに、駐車場があり、すでに4台ほど車が止まっていた。身支度を整え、歩き出したのは11時半。参考にしたHPには正味歩行時間が4時間と書いてあったので、あまり遅くなるようだったら、途中で引き返すつもりで歩き出した。
登山口の駐車場に車を止めて歩き出すと、のっけから掘れた歴史のある登山道が続いていた。白兀山は信仰の山のようだから、昔から登られていたのだろうが、それよりも登山者が多いため、道の侵食が進んだようにも思える。あまりにも道が荒れてきてしまったからか、道が付け替えられているところもあった。
途中送電線鉄塔のそばを通り進んでいくと、15分ほどで前に建物が見えてきた。医王の里の建物だ。
遊歩道から再度登山道に入り、しばらく行くとお地蔵さんがあった。説明板を見ると江戸時代後期の寛政年間に建てられたものだったから、この道は登山道として使われる前から使われていたことになる。
しばらく行くとまた前が開け、林道に出た。横を大きくカーブしながら登っていく車道があった。夕霧峠に至る林道菱池広谷線だ。
ここからは今までの掘れた登山道ではなく、平坦な登山道が続いていたから、新しく付け替えられた登山道だと思われる。歩き始めてちょうど1時間で西尾平の休憩所に着いたので、しばらく休憩することに。ここにも数台車が止まっていたから、ここから歩く人もいるようだ。休憩舎にはトイレもあり、休むのに良いところだ。
西尾平からはしばらく下に林道を眺めながら歩く。途中しがらくびの仏さん十体の内の一体と思われる石仏があったが、そのほかの石仏は見つけられなかったから、古い道のほうにあるのか紛失してしまっているのかもしれない。
しがらくびと書かれた場所でも下に林道が来ており、そこまで降りられるようになっており、駐車場があった。そこからは再度掘れた登山道を歩くところがあった。両脇が崖のようになっていたところもあり、かなりの年月を感じることが出来た。道が崩れ、痛みが激しくエスケープロードがつけられているところもあった。
この登山コースは比較的なだらかだが、白兀山に登っていく手前では、かなりな急斜面も出てきた。森の中から展望の良い場所に出たのでここが頂上かなと思ったが、頂上は少し先立った。この辺りにはごつごつした岩が露出しているところがあり、また高い木が生えていない。昔は木が生えていなかったようで、それでシラハゲ山と呼ばれたようだ。白兀山山頂には展望台があり、周囲を見渡してみたが、この日は天気が悪く、展望はあまり利かなかった。
白兀山からは下りとなり、何度かアップダウンを繰り返すと、夕霧峠に着いた。夕霧とは風情のある名前だが、後で付けられた名前で、菱広峠というのが元の名前だそうだ。しかし、その名前にしても麓の菱池と広谷を結ぶ峠という意味で付けられたのだと思うから、比較的新しい峠なのかもしれない。
ここには鉄筋の立派な休憩舎があった。ここからも天気がよければ見晴らしがよさそうだったが、この日は全く展望が利かなかった。
夕霧峠の富山側には大きなスキー場があり、峠のすぐそこまでリフトが上がってきていた。その前に奥医王山に登っていく入口があった。登り口からしばらく急な階段が続く。288段あるそうで、50段ごとに段数が表示してあった。
この階段がある登りは浄土坂と呼ばれており、階段の上り口の横には何体かの石仏が鎮座していた。そのひとつは、仏様の線画が掘られた石板だった。しばらく前の写真を見ると、ここに木の鳥居が写っていたが、今日行ったところ鳥居はなくなっていた。
浄土坂の途中から富山側の展望が良かった。見えている平野は砺波平野で、そこから更に山に入っていけば世界遺産で有名な白川郷にいたる。
急な階段は見返りの大杉と書かれた広場で終わりとなり、後は緩いアップダウンが続くだけで、それほど苦もなく山頂に着いた。
途中に龍神池という池があった。池は尾根から少し下ったところにあるのだが、そこに降りていく道の逆側にも踏み跡があったから、龍神池分岐の鞍部は昔は峠として使われていたのかもしれない。この稜線は石川県と富山県の境であり、他にも峠だったのではないかと思われるところが何ヶ所かあった。
山頂はある程度の広さがあり、ゆったりくつろげる。休憩しているとき、何名かの登山者が登って来られたが、手ぶらの人もおられた。夕霧峠まで車で来て、ハイキング気分で登ってきた人なのかもしれない。ここには一等三角点があり、標高939.1mとなっている。
帰りは菱池小原登山口に降りた。この登山道は今まで歩いてきた登山道に比べると少々整備が行き届いているとはいえないが、ここにも歴史を感じさせる掘れた登山道が続いていた。しかし、登山道はずっと森の中で、特に目を引くものも展望もなく、単調な下りが続くので少々辟易させられた。
水田跡と思われるあぜ道に降りて、そこをしばらく進むと、菱池小原登山口と書かれた標識のところに出た。そこからは廃村跡内の車道を歩き、かなり下まで降りていったところで、橋を渡り、しばらく行くとようやく大きな車道に出た。そこから見上峠までは上り坂で、しばらく振りの山歩きで疲れた足には少々堪えた。
見上峠に戻ってきたのは5時半、もう少し遅ければ暗くなっていただろう。最後は少し急いだので何とか明るいうちに戻ってくることが出来た。
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