日時

目的地

所在地

2014年10月28日

高尾山(763.1m)

奥高尾山(841m)

順尾山(883m)

倶利伽羅峠(276.8m)

石川県金沢市

石川県金沢市

石川県金沢市/富山県南砺市

石川県津幡町/富山県小矢部市

 行動日程

高尾山登山口(駐車場)9:50〜10:10鉄塔10:10〜11:00高尾山11:15〜11:50奥高尾山12:00〜12:30西谷山分岐12:30〜(昼食休憩30分)〜13:30心野谷山13:35〜14:05県境尾根(大倉山分岐)14:05〜14:10順尾山14:15〜県境尾根(大倉山分岐)〜心野谷山〜西谷山分岐〜15:30奥高尾山15:40〜高尾山分岐〜16:50高尾山登山口(駐車場)

 参考資料

Web情報:国土地理院/基準点成果等閲覧サービス(三角点情報)

文献  :

 これまでの山行記録

 

地図を全画面表示で見る

【地図の説明】 この地図はおおよそのルートをトレースしたもので、正確ではありませんので参考程度にとどめてください。最初はOpenStreetMapが表示されますが、地図の右上にあるボタンにポインターを持っていけば、「地理院地図」、「空中写真(航空写真)」に切り替えることができます。地図上の赤線が今回歩いたルートです。

≪注:赤枠で囲った写真にマウスポインターを当てると、ルート表示や説明が現れます。≫

金沢の山第二弾。。。先日、医王山に登ったので、今回は高尾山・順尾山に登ることにした。金沢市内から近い山で、ある程度ボリュームのある山を探したのだが、医王山周辺と今回登る高尾山・順尾山周辺の山しかないようだ。順尾山の奥に大門山、赤摩木古山などの山々があるが富山側から登らなければならず、登山口までかなり時間が掛かるので、今回はパスした。

登山道入口分岐

高尾山の案内板

登山口は金沢の奥座敷、湯涌温泉にある。この温泉街は狭いが、一時代前の温泉場の雰囲気を色濃く残す、ノスタルジックな温泉街だ。湯涌温泉に入ると右に折れ山の中に入っていく道があったので、そこを上がっていく。分岐にはしっかり「高尾山」と書かれた案内板があった。

高尾山登山口

分岐から車で10分ほどで登山口に着いた。ここには駐車スペースがある。Uターンするのも厄介なほど狭いが、無理すれば4、5台は止められそうだ。平日に関わらず、すでに2台の車が止まっていたが登山者の車ではなく、近くの山で作業を行っているのか工事関係らしい車だった。

登山口にあった案内板

この登山口からは高尾山・奥高尾山を通って、順尾山へ縦走するだけではなく、奥高尾山から吉次山を周回してくることもできる。また、順尾山からさらに大倉山までの登山道も整備されたようで、大倉山の表示が追加されていた。ネット情報によれば最近大倉山の更に先の赤堂山まで薮が開かれたようである。

鉄塔

掘れた登山道

登山道に入ると、しばらくは平坦な道だったが、少し傾斜が出てくると、深く掘れた登山道が現れた。この間歩いた医王山でもこのようなV字に掘れた登山道が多かった。後で地元の方に、「何故こんなに深く掘れた道が多いのか」お聞きしたところ、金沢は雨が多いので、土砂が流れて登山道がこのような状態になってしまうとのことだった。20分ほどで送電線鉄塔の下に出た。

高尾山分岐

高尾山山頂(正面は医王山)

深く掘れた登山道は岩がむき出しになっているところが多く、少し歩きにくい。岩が濡れていて滑りやすく、下山時に滑ってこけてしまった。しかし、道は最近草刈も行われたようで、よく整備されている。約1時間で高尾山山頂の分岐についた。山頂をショートカットする道もあったが、山頂まで3分の表示があったので、山頂に行くことに。山頂は広く、展望がいい。ベンチも置かれているので、休憩するには良いところだ。国土地理院地図には高尾山と表示されているが、案内板によっては前高尾山と書かれているところも多い。

高尾山山頂の石仏

ここは信仰の山なのか、小さな木の祠に入った石仏が鎮座していた。高尾山と言えばミシュランガイドから三ツ星をもらった東京の高尾山が有名。その高尾山には薬王院があり、今は違うが創建当初は薬師如来をご本尊とした。福井にもいくつか高尾山があるが、福井市高尾町にある高尾山にも麓に薬師神社がある。それで、ちょっと調べてみたら、山中温泉には国分山医王寺があり、薬師如来が祀られいる。山代温泉には薬王院温泉寺があり、両者とも僧行基が開祖だという。東京の高尾山も僧行基の開山だ。だから、この高尾山も麓の湯涌温泉と関係があると見て間違いないようだ。薬師如来は薬・医業の仏様とされ、衆生の疾病を治癒するご利益があると信じられていることから、温泉と結びついたのだろう。ちなみに、湯涌温泉にも薬師寺があるそうだ。

医王山(高尾山山頂より)

高尾山山頂からは展望がよく、真正面に医王山が雄大な姿を見せていた。

金沢市街を望む(高尾山山頂より)

ここからは金沢の市街地、日本海までが見渡せた。

紅葉(高尾山から奥高尾山に至る登山道途中)

高尾山辺りからは紅葉がきれいで、登山道脇には赤や黄色に色づいた木々が我々の目を楽しませてくれた。

杉の古木

奥高尾山手前の登り

また、登山道脇には杉の古木が多く見られた。樹齢3、400年はあるだろうか。もっと古く、500年以上経っていそうなものもあった。

奥高尾山山頂

高尾山から奥高尾山までは40分ほどで着いた。ここは吉次山に至る登山道との分岐となっている。また、ここにあった標識には、ここから順尾山に向かう道を「浅犀みくまりの道」と表示していた。登山道がある尾根が金沢市内を流れる浅野川と犀川の分水嶺になっていることから、この名前を付けたようだ。みくまりを漢字で書けば、「水分」となる。


高尾山と医王山を望む(奥高尾山山頂より)

ここからは今登ってきた高尾山が眼下に見えた。全山紅葉しているのがよく解った。


犀川上流の山々を望む(奥高尾山から西谷山に至る登山道より)

奥高尾山から西谷山に向かう登山道途中から、威容を誇る山々が見えてきた。最初それが今日の目的である順尾山かと思ったが、そうではなかった。後で調べたら、犀川上流の山々だと解った。中央奥に聳える円錐形の端正な山は石川・富山県境尾根に聳える大門岳のようだ。この山はその形から、加賀富士または金沢富士と呼ばれている。その右のふたこぶ駱駝のような山は高三郎山で、その後ろは見越山辺りだろうか。ここから見ると、はるかに遠く近寄りがたく見える。登攀意欲をそそる山だ。順尾山は手前の平坦な稜線上の一郭にある。特にピークはなく、大門山の左辺りの尾根の一郭だと思われる。


西谷山分岐

登山道を更に進むと、特にピークと言うほどではないところに、西谷山と書かれた標識が現れた。矢印が小さなピークのほうをさしていたので、見てみたが特に頂上と言うほどのものではないので、帰りによるとして、そのまま登山道を直進する。

西谷山近くのブナの紅葉

西谷山から降りた辺りは見事なブナ林となっており、紅葉がきれいだ。ちょうどお昼時だったので、紅葉を見ながら、昼食をとることに。この辺りのブナは特に幹が白く、紅葉とのコントラストが美しかった。

心野谷山

心野谷山直下の急登

西谷山から心野谷山に向かう登山道もこれまで同様、基本的に尾根道だったがそれほどきつい登りはなかった。しかし、心野谷山の登りに掛かると、急な斜面となり、ロープが設けられていた。足場の悪いところもあり、滑りやすい。そこをこなすと、心野谷山と書かれたピークに着いた。

心野谷山山頂

犀川ダム

今日は歩き始めが10時と遅くなったので、ここに着いたときには既に1時半を回っていた。参考にしたHPの山行き記録によると、ここから順尾山までは30分ほどだが、帰り道はアップダウンがきついのか、3時間掛かって登山口に降りている。そうすると順尾山まで行った場合、休憩時間を入れなくても、登山口に降りられるのは5時となる。日が短くなっているので、山歩きでは5時ではかなり遅い。休むことを考えれば、下手すれば6時近くになる可能性もある。あまり気は進まなかったが、同行者が順尾山まで行きたいというので、奥に進むことにした。心野谷山からはかなり急な下りとなっいる。山の鞍部に下りた辺りから、右手に犀川ダム湖が見えてきた。地図で見ると犀川ダムはかなり大きいが、ここからはかなり小さい。ここからは犀川ダム湖の一部しか見られないのかもしれない。鞍部からの登り返しもかなり急で、ここにもロープが張ってあった。

県境尾根(大倉山分岐)

心野谷山から30分ほどで尾根に到達した。順尾山はまだ少し先で、この尾根を左に行かなければならない。この尾根は県境尾根で、右に行けば大倉山だ。

順尾山山頂

同左

分岐からはほとんど登りもなく、3分ほどで順尾山と書かれた標識があるところに来た。順尾山の頂上は尾根上の一郭で、ピークらしいところはなく、標識がなければ行き過ぎていただろう。帰りの時間が気になったので、休憩もそこそこに写真だけとって、下山に掛かる。息もつかずに降りたら、奥高尾山に着いたのは3時半。登りでは登山口からここまで1時間半で歩いているから、下りは1時間くらいで降りられそうだ。少し余裕が出てきて、ここで少し休憩することに。

茜色に染まる山肌

登山口に降りてきた辺りでは、山肌がうっすら夕焼け色に染まっていたが、最後もこれまでにないほど飛ばしたら、何とか5時前に登山口まで戻って来ることが出来た。まだ、十分明るかったので、足元を気にせずに歩くことが出来た。飛ばしたので翌日足に疲労が残るかと思ったが、それほどの痛みはなかった。今日のコースは何の変哲もない低山を尾根伝いに巡るコースだったが、このくらいの低山でこれほど山深くまで尾根道が続いているコースは少なく、貴重な存在だといえるだろう。特に福井県内の山は登って降りてくるだけのコースが多く、尾根を巡る道は殆どが薮に埋もれて歩けなくなってしまっている。また、全体的に見ればそれほどきついアップダウンもないから、足に負担がなく素晴らしいコースだと思う。

倶利伽羅不動尊本堂

国見山に至る道

翌日(10月29日)、倶利伽羅峠に行ってみた。この峠は加賀と越中の国境にあった峠で、昔の北陸道はここを越えていた。10年ほど前に来たときは石川県側の竹橋口から歩いたのだが、そのときは倶利伽羅不動尊にお参りしてなかったので、今回行ってみたら、予想以上に立派な本堂があり、たくさんの方がお参りしておられた。

三角点(倶利伽羅)

三角点の標識

本堂があるところから更に上に登っていく階段があったので、そこを登ってみたら、小高いピークがあり、二等三角点が置かれていた。この小ピークは倶利伽羅峠一帯では一番標高が高く、276.8mあり、国見山と呼ばれていたようだ。そこには北陸の三角点をこまめに歩いておられる加賀低山徘徊部さんお手製の表示板があった。それによればこの三角点の点名は倶利伽羅となっている。


国見山(倶利伽羅山)からの眺め

ここからの展望が最高で、剱・立山から北アルプスまでが見渡せた。左記の写真ではまったく見えないので、拡大し調整してみたのが下記の写真。

剱・立山を望む(国見山より)

安物デジカメではなかなかその雄姿が写らなかったが、何とか調整したら、上記の写真のように、うっすら剱岳と立山が浮かび上がった。

昔のままの峠道(旧北陸道)

旧街道の雰囲気を残す街並

倶利伽羅峠は加賀と越中の国境となっており、7kmほど続く丘陵地帯の中を旧北陸道が通っている。一部車道化しているところもあるが、上記左の写真のように昔のままの北陸道が残っているところもある。帰りに富山県側の入口である埴生口に行ってみたら、右側写真のような旧街道の名残を残す場所もあった。

 

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