日時 |
目的地 |
所在地 | |||||||||||||||||||||||||||||
2015年10月27日 |
殿上山(683m) 折立峠(約450m) 赤谷峠(特定できず) |
福井市浄教寺町/同市赤谷町 鯖江市上河内町/福井市折立町 鯖江市尾花町/福井市赤谷町 | |||||||||||||||||||||||||||||
行動日程 |
【殿上山】登山口13:40〜14:10標高660mのピーク14:15〜14:45殿上山14:55〜15:20標高660mのピーク15:40〜16:10登山口 | ||||||||||||||||||||||||||||||
参考資料 |
Web情報:国土地理院/基準点成果等閲覧サービス(三角点情報) 文献 : | ||||||||||||||||||||||||||||||
これまでの山行記録 |
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≪注:赤枠で囲った写真にマウスポインターを当てると、ルート表示や説明が現れます。≫ この日の一番の目的は赤谷峠を見つけることだったが、目星をつけていた場所に切通しの峠は存在せず、もうひとつの推定地に向かった。その推定地は殿上山登山道から枝分かれした尾根上にあるのだが、薮がひどいので、後で行くことにして、先に殿上山に登ることに。しかし、その殿上山も今は薮山で、途中から登山道がはっきりせず、コンパスと地図がなければ遭難してしまっていたのではないかと思えるほど大変な登山となった。
登山口は尾花キャンプ場のすぐ近くだ。キャンプファイヤー広場と書かれた広い空地に車を停めさせて貰って歩くことに。上記左側写真が登山口、車を置いた広場から目と鼻の先だ。最初は林道を歩くが、100mも行くか行かないうちに、右側の斜面に黄色い標識があるので、そこを入っていく。登山道は草刈がされておらず、草の種がズボンにまとわりつく。
殿上山には麓の河和田小学校の生徒が二年に一度登っていると言うことなので、整備された登山道が続いていると期待していたが、草が多く快適な登山道とはいえない。小学校の登山大会は春なので、草は伸び放題になってしまうようだ。登山道自体は急斜面に小まめに階段が造られており、歩きやすい。
登山道の途中に、白く立枯れした木が目立つところがあった。真っ白なので全く木の墓場といった雰囲気だ。はっきりした木の種類は解らないが広葉樹のようだ。
660mのピークまでは草が多いとはいえ、しっかりした登山道があったがそこから先は踏み跡だけとなった。登山口にあった黄色い案内板には天空まで30分となっていたから、天空とはこのピークのことを言うようだ。このピークからはっきりした踏み跡があったので、その尾根筋を進んでいったがどうも方向が違う。地図を確認したところ、このピークからは左の広い尾根を進まねばらなかったのだ。その尾根は草がひどく、踏み跡がないので、ついつい別の尾根に引き込まれてしまう。帰り道にもここで迷い、違ったほうに行ってしまった。
途中、山頂ではないかと思われるピークがあったが、頂上の標識はなく、偽ピークだった。P660mで少し迷ったものの、登山道は杉林の中が多いので薮は薄く、ストレスなく進んでいたが、突然すごい笹薮が現れた。この尾根だけ周りに高い木がないので、日が当たり、笹や雑草が伸び放題に伸びていた。余りにもすごい笹薮なので、迂回しようと思ったが、下はやせ尾根。狭いところでは幅が50cmほどしかなく、両側は切れ落ちていた。下に降りてトラバースしてもかなり時間が掛かることは明らか。距離的には100mほどなので、薮に突入する覚悟を決めた。途中まで笹を掻き分け進んでいたが、潅木が生えているところがあり、枝が邪魔で掻き分け進むことが出来ない。仕方なく、そこをくぐりぬけ、何とか、その笹薮を通過することが出来た。両側が垂直になっていたので、人工的に削られた可能性もある。そうなると、城砦の防御のための土橋のようにも思えるが、ここに城があったと言う記録はなかった。
この山は杉林が多いので展望はなかったが、この笹薮のところだけは高い木がなく、笹薮の中から福井平野がよく見渡せた。
笹薮を通過すると、ひと跨ぎで山頂に着いた。山頂はそれなりの広さの切り開きがあり、山頂っぽかったが、ここも杉林の中で展望は利かなかった。こんな薮山だが、結構登ってくる人は居るようで、標識やピンクのテープがいくつかあった。
上記のような味のある標識もあった。一乗山や白椿山、砥山にも同じような標識があったから、日本山岳会福井支部の方々が設置した標識だと思われる。
山頂には境界杭と思われる標石もあった。山頂の反対側には登山道のような踏み跡があった。ここを降りていけば美山林道(森林基幹道美山線)に出られる。林道まで距離的には400mほどだが、昨年の夏にここを歩いたと言う人のリポートによれば『殿上山から先も一応道がありましたが分かりにくいです。特に頂上からの下りが分かりにくく少し迷いました。ヤブに埋もれた道を「林道に出るまでの我慢」と思いながら先に進みました。』と言うことです。
先ほど書いたように、帰り道にもP660mで迷ってしまった。右に曲がらなければならなかったのだが、別の尾根筋にはっきりした踏み跡があるものだから、ついついそちらのほうに歩いていってしまった。随分進んだ先でようやく気がついて、来た道を戻ったのだが、このピークに戻ってきても、ここがP660mだと解らないうえに、登山道が草に覆われているため、自分がどの方向から来たのかも解らなくなってしまった。それで、その辺りを二度、三度歩き廻ったがそれでも解らない。しかし、もう一度このピークに戻ったところで、上記左側写真のピンクのテープを見つけ、ようやくそこが登山道だと解った次第である。この山は植林された杉林が多く、どこを歩いていても特徴がないので、迷いやすい。
帰りに尾花キャンプ場に寄ってみた。小奇麗なバンガローや炊事場があり、かなり大事に使われているようだ。もう営業期間は終わったと思われるが、水道の蛇口をひねってみたら、水まで出た。また、ここには厄年の若者を雪の中に放り投げると言う奇祭で有名な禅定神社がある。
禅定神社の謂れは左記写真の説明版に詳しく書かれてあったので、それを参考にしてください。(拡大)をクリックすると、写真が大きくなります。 【赤谷峠行】
赤谷峠は美山(現福井市美山地区)の人々が山を越えて福井平野に出るルートのひとつだった。大野から丁(ようろ)坂を越え、味見を通って、この峠を越えるルートがあり、大野から福井平野に出る最短ルートだった。このすぐ南には折立峠があり、そちらのほうが通行量が多く、赤谷峠のほうが早く使われなくなってしまったようだ。赤谷は麓にある赤谷集落から来ているが、赤谷は平家の落人伝説がある集落で、殿上山はその一族が見張り所として、また他の一族と連絡を取るために、狼煙を上げたところだとも言われている。今日はこの赤谷峠を見つけることが最大の目的だったが、結局場所を特定できなかった。
尾花キャンプ場から更に奥に続く林道(上河内尾花線)を進み、峠があったと思われる地点にやってきた。すると林道脇に尾根に取り付けるところがあり、ピンクのテープがあったので、そこから峠にアプローチすることにした。尾根筋に踏み跡があり、比較的歩きやすい。先ずは521mのピークに登り、そこから北に向かい、赤谷峠があると思われる山の鞍部に到着した。鞍部は周囲よりかなり窪んでおり、またかなり広い。ここに峠があってもおかしくないと思ったが、切通しの道は見当たらなかった。この尾根筋を歩いた人のリポートによると、尾根を跨いで切通しの道があったという事だから、この地点とは違うようだ。鞍部はそれらしい雰囲気があるのだが、全く掘れた道は見当たらない。赤谷峠はそれほど通行量のあった峠ではなかったようだが、折立峠と並んで古くから使われていた峠道だった。それなりの人通りはあったと思われるので、その痕跡は残っていると思われた。それで、この地点が赤谷峠だとは断定できなかった。次の推定地点には向かうことにしたが、この林道の先にある折立峠に廻ってからにすることにした。
その推定地点には後で廻ったのだが、殿上山に登るのに迷ってしまい、時間がなくなり、行くことができなくなってしまった。 【折立峠行】 赤谷峠のついでに、林道(上河内尾花線)を更に奥に進み、折立峠に行ってみることにした。
荒谷林道との分岐にも「上河内の薄墨桜」の案内板があった。ここまで、林道が良く整備されていたが、この桜があるためだったようだ。ここから折立峠に向かう林道は昔のままで荒れが目立った。
林道が荒れており、折立峠はかなり遠くに感じた。水溜りがいくつもあり、車体の汚れを気にしながら進んでいった。20分ほどで折立峠に着く。この峠は林道ができた所為で、全く原形をとどめていない。ここには随分前に一度来たことがあり、峠の石仏があったはずなのだが見当たらない。場所を間違えたのかと思い、その辺りを歩き回ってみたがここに間違いないので、もう一度探してみたら、道端の草むらにその石仏を発見した。
以前来たときは小さな木の祠に入っていたが、朽ちてしまったのかむき出しに置かれていた。石仏は風化が進み、頭の部分が割れていた。光背の部分にいくつもの手が描かれていたから、千手観音だろうか。昔の峠の雰囲気は全くなく、この石仏がなかったら、峠とは思えない場所だ。両側の斜面を見ても、峠道の痕跡は全く見当たらなかった。
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