日時

目的地

所在地

2015年11月21日

小大日山(1198.5m)

石川県加賀市山中温泉真砂町

 行動日程

登山口(駐車場)10:25〜11:10大岩11:10〜11:40徳助の頭11:50〜12:20小大日三角点12:30〜12:35小大日山頂12:40〜13:10徳助の頭13:30〜14:00小大日三角点14:05〜14:25徳助の頭14:30〜15:20登山口

 参考資料

Web情報:国土地理院/基準点成果等閲覧サービス(三角点情報)

文献  :

 これまでの山行記録

 

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【地図の説明】 この地図はおおよそのルートをトレースしたもので、正確ではありませんので参考程度にとどめてください。最初はOpenSCycleMapが表示されますが、地図の右上にあるボタンにポインターを持っていけば「OpenTopoMap」、「地理院地図」、「空中写真(航空写真)」に切り替えることができます。地図上の赤線が今回歩いたルートです。

≪注:赤枠で囲った写真にマウスポインターを当てると、ルート表示や説明が現れます。≫

先月、新道開発を手伝った高倉山から徳助の頭の登山道がどうなっているのか確認したくて、大日山登山道の徳助新道を登ってみた。

大日山登山詳細図(拡大

真砂村離村の碑(拡大

ガタガタ道を真砂集落の一番奥まで車を入れる。ここには広い駐車場と大日山登山地図がある。既に一台車が止まっていたが、どうも加賀山岳会のOさんの車ようだ。Oさんは高倉山から徳助の頭までの新道を開発した方で、一応道は開いたがまだロープ張りや案内板設置などの作業が残っており、今日もその為に山に入られたようだ。真砂村は大聖寺川を遡ると、一番奥にあった村だが、平成10年に廃村となっている。大日山登山地図の裏には、この地を離れていった人々の思いが書かれてある。ここまで来る途中に二階建ての小さな建物があるが、元の九谷小学校真砂分校跡で、明治16年創立、昭和47年閉校だそうだ。詳しい資料がないが、昭和34年当時で、児童数10名だったそうだから、村共同体として立派に存続しうる人口を擁していたといえるだろう。旧山中町の一番奥に当たり、大昔(昭和初期頃までだろうか)には山中に出る、ちゃんとした道がなかったそうで、山を越えた福井県側の岩屋とのつながりが強く、生活物資の調達や物を売りに行くにも、福井県側に出たそうである。平成4年現在ではまだ3戸が残っていたそうだ。その当時でも積雪期にはみんな町に出てしまい、無住の地となっていた。私がこの村を知ったばかりのころはまだ老人がひとり残っていたと聞いていたが、その方も亡くなられたのか、この地を去られたのか、今は完全な無人の地となってしまったようだ。

真砂神社の鳥居

登山道の標識

駐車場から案内板に従って、林道を進んでいくと、すぐに鳥居が現れる。今は無人となった真砂集落の鎮守、真砂神社(天照皇大神宮)の鳥居だ。昔はこの鳥居をくぐり、登山道があったが、ルートが変わったようで、案内地図にもマジックでルートが書き換えられていた。鳥居のすぐ近くに登山道と書かれた小さな標識があった。その標識に従い進んでいくと、小さな橋がありその袂にまた案内板があり、徳助新道はそこを入って行くようになっていた。

徳助新道入口

尾根に取り付くまでが少し解りにくかったが、尾根に取り付けば後は一本道、歩きやすい道が付いていた。道は急登が多く、滑りやすいが良く整備されてる。

真砂谷新道が通る尾根筋

登山道からは新しく開発された真砂谷新道が通る尾根筋が見えた。中央に見える山は千本杉の頭だろうか、この日は視界が悪く、確認できなかった。この尾根を左に行けば、真砂谷の頭、さらに高倉山がある。

登山道の様子

密生したブナ林

途中からブナ林となったがこれだけ密生したブナ林は珍しい。細いブナが所狭しと、林立していた。今は葉が落ちて光が差し込み開放的な登山道だ。
 

大岩

徳助の頭頂上

この登山道は単調な登りが多く、特に目を引くものがなかったが、徳助の頭までの中間点辺りに上記のような大岩があった。 大岩から更に斜度を増した急坂を登っていくが、頂上間際になると斜度が緩くなり、徳助の頭山頂に着いた。ここは尾根の一郭だが広場があり、山頂の雰囲気がある。  
 

徳助の頭の標識

真砂谷新道入口

山頂広場から左に下って行く道が新しく開発された登山道だ。ちょっと覗き込んだところ、真新しい虎ロープがあり、今設置されたばかりのようだ。Oさんの姿は見えず、かなり奥で作業をされているようだ。今日はこの道を歩いてみるつもりだったが、最近膝の具合がいまいちで、この激下りを降りていくのはちょっと負担が大きそう。小大日に続く尾根道は傾斜が緩そうなので、そちらを歩くことにした。
 

県民の森に降りていく道

三角点の標識

途中少し急なところがあったものの、穏やかな尾根道だ。登山道脇には潅木しか生えておらず、葉っぱが落ちてしまったこの時期は展望を楽しみながら歩ける(この日は生憎ガスが多く展望はいまいちだったが)。気持ちの良い登山道だ。30分ほどで登山道脇に上記の標識があり、三角点があった。なお、この少し手前には県民の森に降りていく道が分岐していたが、入口には虎ロープが張ってあった。この登山道も新しく開発された道だ。

登山道脇の三角点

三角点(点名:小大日)

三角点(点名:小大日)にコンパスを当ててみると、標石の三角点と刻まれた側は真南ではなく、磁石の南向きに一致した。

薄っすら浮かぶ小大日山頂

三角点がある位置は尾根道の一郭で、すぐ先に小さなピークが見えたので、そこまで行ってみることに。そのピークに着くとまた先に一段高くなったところがあった。ガスの中からそこにうっすら標識のようなものが見えたので、行ってみると小大日山の標識だった。小大日山頂は三角点(標高1198.5m)より随分高くなっているので、標高は1200mを超えていると思われる。
 

小大日山の標識

山頂に着くと、ガスが広がり、展望は殆ど利かず、今登ってきたルートがかろうじて見えるだけだった。大日山まで行く気にはなれず、徳助の頭に戻ることにした。徳助の頭に戻り、軽い昼食を摂ろうと思ったら、コンパスを置き忘れたのに気づき、小大日山まで戻る羽目に。
 

ガスの切れ間から見えた大日山と加賀甲

今日は一面ガスの中で、全く視界は利かなかったが、小大日まで戻ってみると、ちょうどガスが切れて、大日山と加賀甲が頭を出した。小大日からだとかなり近く見えたがそこまで行く気は起きない。徳助の頭に戻り、少しOさんを待ったが、戻ってくる気配がないので下山することにした。

真砂神社鳥居

天照皇大神宮の碑

真砂集落に戻り、鳥居をくぐり中を見せてもらうことにした。すぐに天照皇大神宮と書かれた石柱があった。昔は神社の建物があったようだが、今は朽ちてしまったようで、何もなかった。ただ、けやきと思われる大木が神木のように生えており、また神社跡の周囲には樹齢200年以上はあると思われる大杉が立ち並んでいた。

大けやき

 

真砂神社跡の碑と大杉

ここにある小さな石碑には真砂神社跡地と書かれてあった。後で調べたら、ここには元は天照皇大神宮があったが、明治になって別の場所にあった真砂社が合祀され、真砂神社となったようだ。
 
 

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