日時 |
目的地 |
所在地 |
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2016年12月3日 |
岩屋越(約1050m) みつまた山(約1060m) 三ツ尾(三角点/1062.9m) 横谷山(1098m) |
勝山市北郷町岩屋/加賀市真砂 同上 坂井市丸岡町上竹田/加賀市真砂町 勝山市北郷町岩屋/加賀市真砂町 |
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行動日程 |
みつまた山登山口10:30~11:15三ツ尾11:20~11:40みつまた山11:45~12:15横谷山12:50~13:10大岩13:10~14:00岩屋越(推定地)14:00~14:35横谷山14:40~16:00みつまた山登山口 |
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参考資料 |
Web情報:国土地理院/基準点成果等閲覧サービス(三角点情報) 文献 : |
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これまでの山行記録 |
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<< 注:赤枠で囲った写真にマウスポインターを当てると、ルート表示や説明が現れます。>> 岩屋越(真砂坂)は加賀市の一番奥にあった集落真砂と勝山市岩屋を結んだ峠。真砂の人々は昔は他の地域に出るためにはこの峠を越えるしかなかった。真砂の人々にとって命綱ともいえる峠だった。今は廃村となっている真砂は小さな集落で、この峠も通行量は少なかったと思われるため、峠の痕跡は薄いと思われた。そのため、今回で3回目の挑戦だったが、結局その場所を特定することはできなかった。古い地図でその場所を確認。念入りに下準備をし、協力者も得て出かけたが、峠のある尾根筋は激藪。その位置に到達したが藪に阻まれ、峠の痕跡を見つけることなく、撤退を強いられた。
真砂集落跡から林道を進み、福井・石川県境までやって来た。ここには駐車スペースがあり、何台か駐車できる。ここから丸岡町竹田に下りていく林道も整備されたようで(舗装はされていない)が、きれいになっていた。帰りはこちら側の林道を下りようかとも思ったが、竹田まで下りて行けるという情報を得ていなかったので、敬遠した。みつまた山登山口は駐車スペースから林道を少し戻った所にある。今日は三ツ尾(三角点)、みつまた山経由で、横谷山まで行き、そこから藪漕ぎし峠に到達する計画だ。
登山口から林道のり面にできた滑りやすい登山道を尾根まで上がると、高平山・浄法寺山・丈競山がよく見える。こちらから見ると、高平山が大きく立派だ。登りたくなってくるが登山道がないのが残念。
小さなピークに出ると視界が開け、これから行く、三ツ尾、みつまた山が見えてきた。
この登山道は3,4年前に開発されたはずだが、すでに熊笹が道を覆っていた。しかし、踏み跡はしっかりしており、迷うことはない。三角点三ツ尾には45分で着いた。ここの三角点(と書かれた側)は西向きだった。
今日は絶好の登山日和、青い空の下、白山が白く輝いていた。これだけきれいな白山を見たのは今年初めてだ。三の峰辺りも薄っすら白いものがあり、2000mくらいから雪が付いている感じだ。
加賀平野のほうはもやがかかり、視界良好とはいえないが柴山潟がはっきり解った(残念ながらうまく写真には写っていないが)。ここで小休止し、みつまた山に向かう。
みつまた山まではそれほどのアップダウンはなく、20分で着いた。三ツ尾からみつまた山の稜線はよく踏まれており、それまでの登山道とは歩きやすい。ここからは向きを左に変えて、進んでいく。
みつまた山から勝山・大野市街が見渡せた。真砂の人々は岩屋越を越え、勝山や大野の街に出て買い物をしたり、物資を売ったりしていたのだろう。岩屋越からこのような景色を見ていたのだと思う。勝山は今でこそ、人口が減少。中心部の商店街も衰退の一途のようだが、昔は福井県内だけでなく、石川県の白峰や真砂など県境を越えた物資の移動があり、一大商圏の中心地として賑わっていた。また、白山信仰のひとつの中心地だった白山平泉寺も勝山を中心とする文化圏を形成していたと思われる。
みつまた山から横谷山に至る登山道はブナの灌木が立ち並んでおり、いつもは薄暗いが、この時期は葉っぱが落ち、日が当たる気持ちのいい山道歩きとなった。途中の登山道から、岩屋越の峠道が登って来ていた谷筋が見えたが、かなり浸食が進んだ険しい渓谷で、ここを登って来るのはさぞ大変だったと思われる。そのため、明治以降の地図を見ると峠道に変遷が見られ、尾根筋の峠道が使われるようになったようだ。今、岩屋からみつまた山に登って来る登山道も一時、峠道として使われていたようだ。昭和になってからは今は九谷ダムに沈んでいるが、そちら側につながる道が開発され、こちら側の峠道の必要性は薄れていったと思われる。
登山道途中から横谷山を望む。横谷山はここから見ると、きれいな円錐形をしている。
1時間半ほどで横谷山山頂にやって来た。ここで道は終わり、藪漕ぎとなる。50年ほど前には大日山までの登山道が開発され、歩けたようだが今は全く歩けない。軽い昼食を取り、さっそく峠の探索に入る。
今日は天気が良く、白山がきれいに見えた。他の山を絶する美しさだ。この山が信仰の対象になるもの解る気がする。
過去に2回、この辺を歩き回っているので、地理には詳しくなった。峠に至る尾根筋にはこの大岩があり、良い目印となる。この岩の下にははっきりした旧登山道(尾根道)の跡が残っている。
尾根筋は濃い笹藪で覆われているが、その下には薄っすら登山道の跡が残っている。ひどい笹藪だが、この辺りはまだ歩きやすかった。しかし、この後灌木が目立ち始め、中々前に進めない。灌木を避け、一段下をトラバースして進むしかないところもあり、かなり時間がかかった。
尾根を見逃さずに進み、岩屋越があったと思う地点にやって来た。しかし、掘れた峠の跡は見つからない。その周辺を探索し、さらに尾根を進んでみたが、峠や峠道らしい痕跡はなかった。尾根が少し下り坂になるところまで進んでみたが、そこにも痕跡はなかった。そこからは更に藪がひどくなり、また時間も無くなってきたので、ここまでとした。帰り道も痕跡を探しながら歩いたが、それらしいものは見つけられなかった。上記写真に薄っすら人工的に削られたようなところがあったが、峠や峠道の痕跡というにはあまりにも淡い。
昭和初期の地形図を見ると、横谷山直下から真北に伸びる尾根筋にも峠道が記載されている。前回その道を少し下りて行ったら、深く掘れた道跡があった。その道も今日歩いた県境尾根に到達していたはずなので、その峠道と尾根が交差していたと思われる辺りを探索してみたが、峠らしきものも、峠道らしきものもその痕跡は見つけられなかった。冬は日が短い。3時までには山を下りようと思っていたが、峠発見の未練が残り、時間がかなりオーバー。登山口に下りてきたのは4時だった。
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