日時

目的地

所在地

2016年10月21日

西山坂(約240m)

釋導寺坂(約290m)

水谷山(334.0m)

鯖江市西袋町/同市中戸口町

鯖江市西袋町椿坂/同市上戸口町

鯖江市上戸口町

 行動日程

【古道散策】三峰城山登り口10:00〜11:30三峰城山登り口

【西山坂】林道終点12:00〜12:10釋導寺坂12:15〜12:40水谷山12:45〜13:05西山坂13:20〜13:35水谷山13:40〜14:05釋導寺坂14:05〜14:20林道終点

 参考資料

Web情報:国土地理院/基準点成果等閲覧サービス(三角点情報)

文献  :

 これまでの山行記録

 

地図を全画面表示で見る

【地図の説明】 この地図はおおよそのルートをトレースしたもので、正確ではありませんので参考程度にとどめてください。最初はOpenCycleMapが表示されますが、地図の右上にあるボタンにポインターを持っていけば「OpenTopoMap」、「地理院地図」、「空中写真(航空写真)」に切り替えることができます。地図上の赤線が今回歩いたルートです。

≪注:赤枠で囲った写真にマウスポインターを当てると、ルート表示や説明が現れます。≫

西山坂も釋導寺坂も、鯖江市河和田地区を取り囲む山々の稜線上にあった峠。折立峠・金谷峠などはかなり使われた峠だったようだが、これらの峠はふもとの村と村を結ぶ小さな峠だったようだ。この峠を使わなくても、山をぐるっと一回りすれば行けるので、かなり早い時期に歩かれなくなっていたと思われる。特に西山坂は、中戸口町でお話を伺った方によれば明治期に使われなくなっていたそうで、峠道の痕跡は消えていた。なお、その方によれば中戸口側ではこの峠を鳥越峠と呼んでいたそうである。

三峰城山(三峰城跡)登り口

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登り口前の駐車スペース

先日(10月10日)、河和田地区の西袋から峠道があっただろう斜面を直登し西山坂を目指したが、峠を発見できず敗退していた。前回挑戦したルートは急登で、ひどい藪、その上濡れてよく滑って閉口したので、今回は尾根伝いにアプローチすることにした。三峰城山から水谷山に続く尾根筋を歩いて峠に到達するルートだ。少し距離は長いがそれほど高低差はないし、途中に釋導寺坂もあるので、これを選んだ。下調べで、三峰城山の鯖江側登り口の反対側に続く尾根筋がその尾根だと勘違い。三峰城山(三峰城跡)登り口から下りている尾根筋に勇んで入って行ったが、それらしい場所に行きつかない。地図を見てもなんか地形が違う。このあたりではこの尾根筋が一番高いはずなのだが、右側にここより高い稜線が見えている。どうもその稜線が目指す尾根筋だと途中で気付き、車を置いた三峰城山登り口に戻ることに。

深く掘れた古道跡

深く掘れた古道跡

しかし、勘違いが幸いして、その尾根筋に深く掘れた古道跡を発見した。三峰城山登山道も掘れた道だったから、三峰城山からふもとに下りる道が昔は存在していたようだ。道幅はかなり広く、また深く掘られていることから一時期はかなり使われていたと思われる。このあたりの峠道では金谷坂の峠道に匹敵するような規模だ。三峰城山には南北朝時代に城が築かれたから、それと関係があるのかどうかは解らない。それより、朝倉氏時代と関係がある可能性のほうが高いかもしれない。また、三峰城山の近くには昔は三峰村が存在していた。三峰村は廃村となってしまったが、昔はかなり権勢を誇った村で、福井の殿様も訪れていたというから、三峰村に登っていく道はいくつもあったと思われる。この古道跡はその一つと思われる。

深く掘れた古道跡

古道跡はずっと尾根上に続いていた。山道というのは時代とともに段々下を通るようになると言われているから、この尾根道はかなり古いということになる。

林道終点

三峰城山に上がっていく尾根筋

一時間以上山の中をさまよって、車を置いた三峰城山登り口に戻り、さらに車で林道終点を目指した。三峰城山登り口までは道がよかったがここから先は道が荒れていた。特に林道終点の車を回転させる場所が一段高くなっていた。高さ2mほどの坂だが急で、その上濡れて滑りそう。一旦戻って路肩が広くなったところに車を置こうと思ったが、その場所が見当たらない。仕方なく、終点まで戻ってきて、その坂を勢いよく駆け上がったら、滑ることなく通過することができた。名ばかりの四駆車だと思っていたので、見直した。普通乗用車の場合は三峰城山登り口より先は入り込まないほうがよさそうだ。
 

林道終点から尾根道へ

尾根道の様子

ここから尾根筋を歩いて西山坂を目指す。尾根筋には山仕事の人が入り込むのか、非常に歩きやすい。立派な道と言っていいだろう。一般の登山道と何等変わらない。
 

釋導寺坂

いくつかのアップダウンを繰り返すと、前に大きく切れ込んだところが見えてくる。それが釋導寺坂の峠だった。それほどの通行量があった峠ではなかったようで、切通しにはなっていなかったが、両斜面には微かに道跡が残っていた。
 

釋導寺坂(椿坂側から望む)

釋導寺坂は河和田地区の西袋町椿坂と山向こうの上戸口を結んでいた峠。釋導寺というお寺があったと思われるが、ネット検索や福井県文書館のデジタル歴史情報検索ではヒットしなかった。
 

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上戸口側斜面(峠道の痕跡)

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椿坂側斜面(峠道の痕跡)

上戸口町に下りていく峠道はつづら折に谷筋を進んでいたように思われるが、椿坂への道跡は右の尾根筋に向かって降りていた。しかし、椿坂側も谷筋を進んでいたと思われるから、谷・谷型の峠だったと思われる。ちなみに、河和田村略図ではすべての峠道は谷筋に描かれている。

水谷山を望む

簡単に釋導寺坂を発見できてしまったので、計画通り尾根伝いに、水谷山を経由して、西山坂に進むことにした。途中、樹々の間から水谷山が望めたがかなり遠くに見えた。しかし、実際歩いてみるとそれほど時間は掛からなかった。


 

水谷山山頂

45分ほどで、中間点の水谷山に到着した。山頂はかなり広い。一番高いと思われるところは円形に土塁がめぐらされ、中が一段低くなっていた。その土塁の一ヶ所に切れ込みがあったから、形状は炭焼き窯に似ているが、これだけ大きいものは見たことがない。
 

土塁に囲まれた山頂

水谷山の三角点

土塁の中には基礎石のようなものが散在していたが、ここに城があったとの情報はなく、やはり炭焼き窯の跡だと思われる。 なお、後で調べたところ、ここには昔白山神社があったが、明治期になって、上戸口町の刀那神社に合祀されており、同所にあった板碑が鯖江市より文化財に指定されている。『長方形の板状の笏谷石の上部左右に「日・月」、その下方中央に「キャ」、左下に「キリーク」、右下に「サ」の白山三所権現の種子(梵字)を刻んでいる。種字は、それぞれ「十一 面観音」、「阿弥陀」、「聖観音」を表している。中央種子の下方に「白山三所妙理大権現」、この右端に「寛永十四年」、左端に「九月吉日」と刻んでいる。もとは水谷山の山頂にあった白山神社の御正体と伝わる。』(鯖江市のHPより)三角点はそこより一段低くなった、広い山頂のほぼ中央にあった。ここの三角点標石の向き(三角点と書かれたほう)は真南ではなく、磁石の南向きにぴったり一致した。

尾根道の様子

西山坂手前の急斜面

水谷山から先の尾根筋は倒木が多く、かなり荒れが目立った。しかし、地図を見ながら歩けば尾根筋を見失うことはなかった。また、この尾根筋にはずっとピンクのテープがあった。水谷山から30分ほどで、尾根が切れ落ちたところが現れた。ここまで歩いてきた中で、一番の急斜面だ。足を踏ん張りながら、滑らないように下りていく。

西山坂

すると、深い山の鞍部が見えてきた。それが西山坂の峠だと思われたが、お地蔵様がいない。先日西袋町でお話を伺った方によれば、峠にはお地蔵様が祀られているとのことだった。おかしいなと思って、そこに生えていた杉の反対側に廻ってみると、その根元にお地蔵様が鎮座していた。
 

お地蔵様が鎮座する西山坂

 

峠のお地蔵様

お地蔵様はむき出しのままだ。昔は祠があったのだろうか、折立峠のお地蔵様も昔は祠があったが、今はなくなっている。お地蔵様が残っている峠は貴重だ。祠を造ってもらいたいものだ
 

西山坂

ここも人通りは少なかったと見え、切通しにはなっていなかった。 
 

西袋側の斜面

中戸口側の斜面

西袋側の斜面も中戸口側の斜面も覗き込んでみたが、道の痕跡は見つけられなかった。この峠は随分早く歩かれなくなってしまったようだし、特に先日挑戦した西袋側は急斜面なのでそこを登ってこようとする物好きはいないので、道が消えてしまったのだろう。前回挑戦したときは西袋から上がってくる谷筋をそらしてしまい、右側の尾根に出てしまったのだった。
この日歩いた尾根筋は人跡は薄いが、山の鞍部には人の歩いた跡があった。特に水谷山直前の鞍部にはかなり濃い人跡があり、ふもとから白山神社に登ってい来る道があったと思われる。また、上戸口町にある刀那神社は現在の場所ではなく、刀那坂と呼ばれた場所にあったそうだ。刀那坂がどこだったかは解っていないそうだが、水谷山の上戸口町側のふもとに刀那清水、刀那の滝などの地名が見られるから、刀那神社はその辺にあったと思われる。刀那神社は多くの社殿が並ぶ広大な大社であったそうだから、釋導寺もその一郭にあった可能性は高い。

 

 

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