日時

目的地

所在地

2017年4月24日

轟坂(おばこ峠/386m)

永平寺町轟/同町荒谷

行動日程

峠道入口(道しるべ)13:20~13:35小さな滝13:35~13:50分岐13:50~14:05枝尾根到達14:05~14:20稜線到達14:20~14:35轟坂14:45~15:10分岐15:10~15:20小さな滝15:20~15:35峠道入口

参考資料

Web情報:国土地理院/基準点成果等閲覧サービス(三角点情報)

文献  :

 これまでの山行記録

 2011.10.11

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注:この地図はおおよそのルートをトレースしたもので、正確ではありませんので参考程度にとどめてください。最初はYahoo!地図の山岳表記に適した地形図が表示されますので、登山口へのアクセスを知りたい場合などは地図表示画面の上部にある地図ボタンをクリックして戴ければ標準地図に切り換わります。また、ラベル(吹き出し)のないマーカー(アイコン)にマウスポインターを合わせると、その地点情報が表示されます。この地図ではアバウトなルートしか解りませんので、詳しいルートは「地理院地図」をご覧ください。なお、地図上の赤線が今回歩いたルート、青線は車による移動です

<<注:赤枠で囲った写真にマウスポインターを当てると、ルート表示や説明が現れます。>>

 

峠道が載っている古い国土地理院地図

轟坂は九頭竜川流域と大本山永平寺がある谷を隔てている、3、400m級の山地を越える峠。山裾をぐるっと回って行ってもそれほど変わらないと思うが、この峠は朝倉氏が軍事目的のために整備したという朝倉街道のひとつ(脇街道)であった可能性があり、武者道と呼んでいるそうだ。朝倉街道は武田信玄が整備したという棒道同様、目的地に早く着くためになるべく直線的に造られており、勢い山越えの道が多くなる。この轟坂を越える道も、轟から直線的にこの峠を越えて荒谷に降り、さらに直線的に市野々坂を越え、大谷に下り、一乗谷に至ったようである。軍事的に必要性がなくなった後も、永平寺参拝道、白山巡礼道、また生活の道として使われてきたようだ。この峠についてはかなり前に一度、林道城山線を使って峠の姿だけは拝んでいるが、峠道を歩いたことはない。峠を見た限りでは小ぶりで、峠道は消えてしまっているだろうと思い、峠道を歩く興味は沸かなかった。しかし、この隣にある志比城山について調べていたところ、偶然、大正天皇が皇太子時代に北陸行啓を行った際、この道を整備したとの記事を発見。それを記念した石碑まで残っているというので、行ってみる気になった。

中部縦貫道の高架

珍しい駅名で有名なえちぜん鉄道轟(どめき)駅の横を通って、轟集落を抜け、山の中に入って行く。中部縦貫道はこの辺では工事が終わったようで、誰もいなかった。その下を通る林道を入って行く。林道はほとんど舗装されており、走りやすい。

林道の様子

林道はほぼ一直線に登って行ったが、道が大きくUターンするところがあった。そこを覗き込んだところ、さっそく道しるべを発見した。

右永平寺の道しるべ

林道はまだ続いていたので、終点まで行ってみることに。

林道の様子

道しるべのところから先は少し道が荒れており、落石が目立った。

林道終点

林道終点に着くと、すぐそこに尾根筋が見えていたので、そこに上がり、峠があるだろう方向に進んでみたが、この尾根は峠がある稜線尾根とは違うことが解ったので、引き返し、道しるべのところからスタートすることにした。

ここからスタート

右永平寺

この道しるべは明治42年、後の大正天皇が皇太子時代に北陸行啓を行った際、道を整備したときの記念碑。横に御大典紀念と書かれてある。この碑はながらく、土に埋まっていて行方が解らなくなっていたが最近になって掘り出されたとのこと。

御大典紀念

道しるべは四角柱と言うより、円柱に近い。高さ60㎝ほど。

人工的に削られた岩

道しるべの後ろは崖になっているが、そこにある岩は人工的に削られたように見える。道を広げるときに岩を削ったのではないだろうか。 

平らにならされた岩

峠道を一歩入った所の岩も、敷石のように平坦になっており、これも歩きやすいように人工的に削ったのだと思われる。

峠道の様子

行啓の際、大幅な改修が行われたのだろうが、100年以上も経っており、道は随分荒れていた。

沢沿いの道

沢沿いの道は崩壊が早く、道か沢か解らなくなっているところが多い。

沢を渡渉

ここでははっきりした道跡は残っていなかったが、沢を渡渉していたのだと思う。もしかして、行啓の際は簡易な橋が架けられたかもしれない。しかし、渡渉するところは他に何ヶ所もあった。

1間幅の道跡

沢が広いところでは、沢の横にしっかり道跡が残っていた。今は石がごろごろしていて歩きにくいが、昔はもっとましだったのだろうか。この道が使われなくなってかなり経つと思うが、それでも1間(約1.8m)幅の道跡が残っていたところが多数見られたのは、行啓の際に大工事が行われたからだろう。

1間幅の道跡

昔は立派な道があったと思われる。1間幅の道があっただろう痕跡はかなりの部分で残っていた。

小さな滝

沢を何度か渡渉するところがあり、道跡がなくなっているところもあったが、なんとなく道筋を目で追うことができたので、迷うことはなかった。峠入口から15分ほどのところに、2,3mの落差の小さな滝があった。

岩肌が削られた道

滝のところから道の雰囲気ががらりと変わり、沢沿いに出来た道ではなく、沢の中を歩くことが多くなった。また、道跡も痕跡が薄くなってきた。

1間幅の道跡

それでも上記地点でははっきりした道跡があったが、滝から上ではこのようにはっきりした道跡が解る場所は少なくなってきた。

沢の中を進む

沢が細くなったところでは、沢の中を歩いたがそこに道があったのかどうかは解らない。沢から一段上に踏み跡が残っているところもあり、沢の中ではなく、沢の一段上に道があったのではなかろうか。沢の中の道は増水すれば歩けなくなるので、その可能性は低いように思われる。少なくとも行啓の際は沢の中を通る道ではなかったと思われる。

三又

上記写真地点では沢が二つに分かれており、どちらに行くか少し迷ったが、左の沢のほうが歩きやすそうだし、青い紐がぶら下がっていたので、そちらのほうに進んだ。

分岐

何ヶ所か沢が分岐しているところがあり、少し迷ったがなんとなく沢沿いに道跡のようなものがあり、上記地点までは迷わずに来た。しかし、ここでどちらに行くか迷ってしまった。右には1.5mほどの小さな滝があり、そこに道があったとは考えづらい。左には沢のような道のような1m幅の掘れた痕跡がまっすぐ登って行っていたので、そちらを選択したが、実際には右側の沢を登って行かねばならなかったのだった。よく見れば右の滝を巻くように踏み跡があったのだが、その痕跡はあまりにも薄かった。それで、この後大変な藪漕登山となってしまった。ようやく尾根に到達したと思ったら、そこは枝尾根で、峠がある稜線にたどり着いたと思ったら、そこからの尾根筋も藪が濃く、大苦行となってしまった。

迷い込んだ沢

迷い込んだ沢は急だが、1m幅の窪みがまっすぐに延びており、道に見えないこともない。その窪みを100mほど登っていくと、傾斜が緩くなってきた。

細い沢筋が続く

そこからも同じ感じの窪みが続いていたが、途中からまた傾斜が急になると、道筋は消えてしまった。その急傾斜をまっすぐ登っていくことは困難なので、小さな尾根筋に迂回し、上を目指す。こうなったら、上に見えている尾根を目指すしかない。

道跡のような窪み

途中上記写真のような窪みがあったが、道跡だとは思えない。その窪みはすぐに終わりになり、その先の斜面はさらに急で、登って行けそうにないので、また尾根筋に取り付いた。

杉の古木

この細尾根には大杉や名前の解らない大木が何本もあったが、道らしいものは見当たらない。この細尾根を登っていくと上に稜線が見えてきた。

枝尾根が見えて来る

それが目指す、峠のある稜線だと思い、必死に登って行った。

枝尾根に到達

その稜線に取り付いたものの、この尾根は傾斜が急で、稜線尾根には思えない。細い木が密に生えており、進むのに苦労する。

尾根筋の様子

途中上記のような浅く掘れた踏み跡が尾根を横切っていたが、目的の峠とは違う。

P421mあたり

ようやく稜線に到達したが、相変わらず藪は濃い。途中、421mのピークと思われるところを通過したが、そこから先が急な下りとなっていた。尾根筋と言いながら、その尾根が見当たらず、ただ垂直に下りていくような感覚だ。そこを下り切った所に尾根が見えており、杉林が見える。峠の荒谷側が杉林だったことを思い出し、その尾根が峠に違いないとそこに向かって下りていくと、見覚えのある窪みが見えてきた。

轟坂の窪み

それが轟坂の窪みだった。

轟坂(荒谷側から見る)

ここの峠の掘れ方は浅く、1.5mほど、それほど使われた峠ではなかったと思ったが、改めて見てみると、掘れ方は浅いが幅は広く、行啓の時にかなり広げられたのではないかと思われる。

轟坂(轟側から見る)

荒谷側に下りて行く道

荒谷側は杉林で藪はなく、薄っすら1間幅ほどの踏み跡が見えたから、それが道跡だと思われる。時間があればこちら側も少し探索しようと思ったが、峠に着いた時には3時近くになっており、探索は諦めた。

轟側に下りて行く道

峠から垣間見えた白山

峠の周りは藪だらけで、展望はきかないが藪の中からかろうじて白山が見えた。

峠直下の様子

ここまで来るのに時間が掛かったので、時間に余裕はなく、さっそく下山にかかる。轟側にも峠部分だけU字に掘れた道跡があったが、すぐに道跡は消え、先ほども書いたように崖のような急斜面となっていた。そこを滑るように下りて行った。

下から峠を望む

上記写真は急斜面を少し下りたところから峠のある稜線を見上げたもの。このどこかに道があったはずだが、その痕跡は全く発見できなかった。この急斜面には土がむき出しになった場所が何ヶ所か見られた。あまりの急斜面で大量の雨が降った時は土砂崩れが起きるのかもしれない。そのため、道跡も消えてしまったのだろう。

沢が見えて来る

急斜面を下りていくと、下に何本かの細い沢が見えてきた。沢と言ってもこの辺りでは水は流れていない。 

道があったと思われる沢筋

そこを下りていくと、沢はだんだん広くなり、水も流れるようになった。

道があったと思われる沢筋

その沢沿いに道跡は見当たらなかったが、そのあたりの雰囲気は先ほど歩いた峠道と似ていたので、その沢をそのまま下りていくと、先ほど逆の沢に迷い込んだ分岐に出てきた。

道迷いした分岐

もっと時間がかかると思ったが、迷わずここまで来てしまったので、30分もかからず、この地点についてしまった。これなら、荒谷側を探索するのだったと後悔したが、それは結果論で、もし道に迷っていたら、どれほど時間がかかっていたか解らなかった。

左岸に旧道が分岐

帰り道に、林道を車で走っていたら、橋を渡るところで、橋を渡らずにまっすぐに続く道のようなものがあった。その道は歩かなかったが、そこからさらに林道を下りて行ったところにその道の続きがあり、そこまで下りて行けるところがあったので、そこまで行ってみた。

旧道の様子

写真写りが悪く良く解らないが、そこには2m幅以上の道がまっすぐに続いていた。

芝桜と遠くに奥越の山々

帰り道、轟集落の道路脇の芝桜がきれいだったので、奥越の山々をバックに写真を撮ってみた。マウスポインターを写真にもっていくと、奥越の山々が拡大します。奥越の山にはまだまだ雪が残っていた。

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