日時

目的地

所在地

2017年11月28日

三坂峠(約340m)

火燈山(480.9m)

光谷越(約350m)

小松市中ノ峠町/白山市三坂町

小松市中ノ峠町/白山市三坂町

小松市光谷町/白山市出合町

行動日程

火燈山登山口10:30~10:55三坂峠11:05~11:35 P440m 11:35~11:50火燈山山頂11:55~13:00登山口

光谷隧道手前300m(駐車地点)13:40~13:42峠入口13:42~13:50光谷越14:00~14:07峠入口14:07~14:10光谷隧道14:10~14:15隧道手前300m(駐車地点)

参考資料

Web情報:国土地理院/基準点成果等閲覧サービス(三角点情報)

文献  :

 これまでの山行記録

 

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【地図の説明】 この地図はおおよそのルートをトレースしたもので、正確ではありませんので参考程度にとどめてください。最初はOpenCycleMapが表示されますが、地図の右上にあるボタンにポインターを持っていけば「OpenTopoMap」、「地理院地図」、「空中写真(航空写真)」に切り替えることができます。地図上の赤線が今回歩いたルートです。

<<注:赤枠で囲った写真にマウスポインターを当てると、ルート表示や説明が現れます。>>

先日の無患子峠に続いて、石川の峠行第二弾は三坂峠。この峠は小松中心部と旧鳥越村を結ぶ重要な役割を担っていた。峠の下に三坂トンネルがあり、今も重要なルートとなっている。また、加賀国の国府があったとされる古府町は鳥越地区からこの峠を越えれば比較的近く、古代中世から人馬の通行が盛んであったのではないかと思われる。そのため、道を守るように整然と杉が植えられた立派な峠道が残されていた。三坂峠についで、近くにある火燈山にも登ることにした。また、時間があれば光谷越にも回るつもりだ。光谷越には手掘りのトンネルがあり、今も使われている。このトンネルの上にも古い峠があったのではないかと思われるが、この辺りを歩いた記録をみても、峠の存在について記述したものがないので、不思議に思っていた。それを確認するのが峠行の目的だ。

三坂トンネル小松口

三坂峠への登り口は三坂トンネル小松側口の右側にある。上記写真の白山市と書かれたモニュメントの辺りだ。トンネルから2、300m手前に路肩が広くなったところがあったので、車はそこに置かせてもらった。

ここから登山道へ

峠入口は草ぼうぼうで解りづらかったが、草むらの中にうっすら踏み跡があったから、いくらか登る人もいるようだ。ここは火燈山の登山口ともなっている。

登山口

最初、2、30mほど古い林道のようなところを歩いていくと、左側の斜面に浅い切れ込みがあり、ピンクのテープがあったので、そこが入口だと判断し、入っていく。

矢印が目印

入口は解りづらかったが、杉の木に白いペンキで矢印が描かれており、それが良い目印になるだろう。元の峠道は国道の一段下の谷筋から上がってきていたと思われるが、山の斜面が崩れており、その痕跡は見つけられなかった。

荒れた登山道

登山道は最初、左のほうに登って行くようになっていたが、この道はその先の峠道とは感じが違っていたから、登山道として後になって付けられた道ではないかと思われる。歩く人が少ないようで、草が伸び放題で荒れていた。夏草のひどい時期にはかなり苦労するだろう。

峠道

荒れた登山道を登って行くと、上記写真のようなつづら折りの道になった。道の脇には道を守るためだろうと思われる杉が整然と並んでいたから、これが昔の峠道だと思われる。杉並木は峠まで続いていた。古いものは樹齢200年は超えていると思われる。太い杉と細い杉が並んでいたから、杉は枯れると新しい杉に植え替えられたものと思われる。杉が植えられている峠はいくつか見たことがあるが、これだけ整然と等間隔に杉が植えられているのは初めてだ。

峠道の様子

道は登山道として整備されておらず、切株がたくさん転がっており、決して歩きやすいとは言えない。ところどころ道が崩れているところがあり、どこを歩いていいのか迷うところもある。しかし、ピンクのテープがあり、それを見落とさないように登って行った。途中深く掘れたところもあり、歴史を感じさせる。昔の幹線道だけあって、2m以上の幅があったようだ。

峠道の様子

道の真ん中に間伐したと思われる杉が何か所か積んであったから、植林した時期があったのかもしれないが、それとは別に明らかに樹齢の違う杉が道の脇に植わっており、峠道が現役として使わていた時からあったものだと思われる。

峠道の様子

上記の杉などは樹齢200年を超えていると思われる。 

峠道の様子

旧峠道は基本的につづら折りに付けられていたが、峠が近づくと道が左を向きだし、そこを歩いていくと峠が見えてきた。

峠の様子

 

三坂峠

峠部分は更に広く、3m以上の幅があった。下の三坂隧道がいつから使われているのかはっきりしないが、近世以降、土木工事が行われたようで、峠部分は人工的に掘れていた。

火燈山登山道の切れ込み

峠道の北斜面に切れ込みがあり、それが火燈山の登山口だった。ここまで30分ほどで着いてしまったので、火燈山まで行ってくることにし、その前に峠の反対側を探索した。

三坂峠

峠部分は人工的に掘り下げたようで、U字に掘れてはおらず、平坦。少し古い林道と言ってもいいような形状だ。

三坂へ降りていく峠道上

そのような道が反対側の右側に続いていたが、笹藪がひどく、最近歩かれた形跡はなかった。しかし、ピンクのテープはこの道に続いていたから、これを降りていけば三坂まで続いていたのだろうと思う。

広い平坦地

峠の正面はかなり広い平坦地になっており、荷物の取次場所となっていたのかもしれない。この先にも道のようなものが下りていたし、左側の尾根筋にもはっきりした道跡があった。

登山道の様子

峠に戻り、火燈山の登山道に入る。正式な登山道はないと聞いていたが道筋ははっきりしていたから、一度は登山道として整備されたと思われる。

登山道の様子

しかし、最近手が入った様子はなく、大きな倒木が登山道をふさいでいるところが何か所かあった。

P440m

小さなアップダウンを繰り返すと、前に尾根が見えてきた。ここが440mのピーク。ここから火燈山の頂上が見えてきた。

火燈山山頂

このあたりの山はほとんどが落葉樹だったが、火燈山の山頂あたりだけ、松が生えていた。

山頂手前の急登

山頂手前はこれまで以上に急登で、まっすぐに道がついていた。この辺りでは藪がなく、はっきりした道がついていた。

火燈山山頂

山頂周辺には木がなく、草っぽかったが、そこを抜けると2m四方ほど藪が刈ってあり、そこが山頂だった。三角点が置かれてあった。火燈山と書かれた古い山名標識とともにいくつか札がぶら下がっていたが、どれも古いものだった。福井県丸岡にも火燈山があり、混同しないように、小松火燈山と呼ばれることも多いようだ。丸岡の火燈山同様、一向一揆勢が狼煙をあげた場所だとの言い伝えが残っているそうだ。

白山

この日は貴重な晴れ間が広がった。来た方向を振り返ると、雄大な白山が輝いていた。福井から見る白山より、一回り大きい。ここは絶好の白山展望台だ。山頂でゆっくりしようかと思ったが、蜂が二度三度襲ってきたので、早々と退散。ゆっくり景色を楽しむ余裕がなかったのが残念。そのまま来た道を戻った。

歩いて来た尾根

帰り道、火燈山と歩いて来た尾根筋が見えた。火燈山の頂上はそこだけ頭一つ飛び出している。

登山道の古い標識

帰りに小さな板で出来た古い標識を見つけた。これに似た標識は頂上やほかの場所にもいくつかあった。これには1979年1月28日の年月日が入っていた。そのころには一度登山道が整備されたのではないかと思う。

三坂トンネル小松口

三坂トンネル小松口に戻ってきた。なお、三坂トンネルは正式には三坂隧道と言うようだ。昭和48年10月完成、全長235mとなっている。所要時間は登り1時間20分、下り1時間弱だった。まだ、時間があったので、三坂トンネルを抜け、一向一揆の里へ。

一向一揆の里道の駅

一向一揆の里には一向一揆勢が立てこもった城砦など復元されており、観光スポットとなっている。そこにあった道の駅でそばを食べ、光谷越に向かう。

通行止めの標識

光谷越(みつたにごえ)に向かう道は県道だが、すれ違いができないほど狭く、こまめに待避所が作られていた。ネット情報で聞いてはいたが、やはり工事中で、トンネルの300mほど手前で通行止めとなっていた。車を路肩の広くなったところに置き、そこから歩くことに。

工事現場

すると、すぐに工事現場が現れた。トンネル工事ではなく、道路を直しているようだ。トンネルの200m手前、重機がある所から左の山道に入った。

峠道入口

旧峠道分岐、ここを左に入っていく。

旧道の様子

最初は林道のようだったが徐々に狭くなっていく。

旧道の様子

この辺りではかなり狭くなり、車では入ってこれない。昔の峠道の雰囲気が出てきた。

峠道の様子

10分ほど歩くと、掘れた道となったが、掘れた道は2,30mしかなかった。上記写真手前から右のほうに降りていく道があった。

古い峠道か?

この道は狭いが掘れており、今歩いて来た道ができる前に使われていたのだと思われる。

古い峠道か?

この道は急斜面をつづら折りに降りていた。少し降りてみたが、途中で道が崩落していたので引き返した。どうもこの道はトンネル辺りに降りていたようだ。

光谷越

掘れた道が現れてからすぐに峠らしきところに着いた。反対側の斜面を見ると草深いがちゃんと峠道が下りていたので、手掘りの隧道ができるまではこの峠が使われていたのはあきらか。

峠道の隣にあった道跡

その峠のすぐ隣に峠道より広く掘れた道があった。規模は大きいが右の尾根筋に進んでいたから、昔の作業道のようにみえた。

尾根道

峠から左の尾根沿いに立派な道が付いていた。これは鉄塔巡視路だが、大岳山(495.2m)の登山道ともなっている。

光谷隧道鳥越側口

工事現場の人に断って、トンネルの鳥越側口まで行ってみた。トンネルには扁額がなく、竣工年月日が解らなかったが、ネット情報によると光谷隧道は昭和8年竣工。昭和36年に一度改修されたがゴツゴツした岩肌が露出した狭いトンネルだったようだ。平成10年に再度改良工事が行われたが、それでも狭くて寂しいトンネルだ。

旧峠道か?

トンネルの脇にも道跡が降りてきていた。先ほどあった細い道はここに降りていたのではないかと思われる。

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