日時 |
目的地 |
所在地 |
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2017年2月22日 |
越知山(612.8m) |
丹生郡越前町大谷寺 |
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行動日程 |
小川登山口10:45~11:10鉄梯子(二合目)11:10~11:15一の峠11:15~11:20林道出合11:20~12:00木の実峠(木の実コース分岐)12:00~12:15独鈷水(休憩舎)12:35~ブナの森~13:30越知神社14:05~14:15奥の院(越知山山頂)14:20~越知神社~15:05独鈷水(休憩舎)15:20~木の実峠~16:00林道出合16:00~(林道歩き)~二合目~16:40小川登山口 |
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参考資料 |
Web情報:国土地理院/基準点成果等閲覧サービス(三角点情報) 文献 : |
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これまでの山行記録 |
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<<注:赤枠で囲った写真にマウスポインターを当てると、ルート表示や説明が現れます。 >> 越知山は泰澄大師の開山とされ、山岳信仰の霊場で、山頂付近に越知神社、山頂には奥の院が置かれている。泰澄が最初に修業した場所がここだと言われており、白山信仰の拠点勝山の平泉寺と並び称される。白山三所権現(御前峰=伊弉册尊[垂迹神]・十一面観音[本地仏]、大汝峰=大己貴[垂迹神]・阿弥陀如来[本地仏]、別山:小白山大行事[垂迹神]・聖観音[本地仏]と同じく、越知山三所権現が本社・奥の院・別山に祀られている。近くにある越知山大谷寺は泰澄入寂の地とされ、別当寺(神仏習合が行われていた時代に神社を管理する寺のこと)が置かれた。明治期の神仏分離により、越知神社と大谷寺に分離させられ、大谷寺は衰退したが、その後復興され現在は天台宗のお寺となっている。大谷寺にも越知山・奥の院・別山がある。越知神社は天正年間の戦火で焼失したが、江戸時代に福井藩祖・結城秀康が祈願所としたことから再び栄え、多くの参詣者で賑わい、福井城下からの参拝も多かったようだ。
この日は越知山登山で、もっとも一般的なコースとなった小川から登る行者道コースを選んだ。登山口には奥糸生多目的集会施設があって、トイレや駐車場が完備している。
登山口には大きな案内板(古い境内絵図)があって、往時の賑わいを知ることが出来る。
一歩登山道に入ると、昔参道だったことを感じさせる、竹林の中の道が続く。途中には深く掘れた峠があった。道幅は狭いがその掘れ方は深い。真木のほうに下りて行く道があったから、小川集落と真木集落を結んだ小さな峠だったと思われる。この参詣道との関係は良く解らない。
しばらく行くと林道に出る。ここから林道を歩いてもいいが、鉄の梯子を登って、今日は本来の行者道コースを歩いた。梯子は細いので注意が必要だ。
小さなピークを越えるところには一の峠(お堂跡)と書かれた案内板があった。登山口にあった絵地図を見ると登山道脇にいくつかの建物や鳥居が描かれているが、今は全くその痕跡は残っていない。ここにも建物の敷石と思われる小さな石が転がっていただけだ。
緩いアップダウンを繰り返していると、また林道にぶつかった。先ほど横切った林道だ。帰りは本来の登山道ではなく、この林道を歩いた。ここには二体のお地蔵さんがあった。
このコースは基本的に尾根歩きで、小さなアップダウンを繰り返す。明るい雑木林の中の尾根道を歩くところもあった。ここからの展望がよく、越前平野が一望に出来、その先に奥越・岐阜県境の山々、そして一番奥に白山が拝めた。
ずっと雑木林の中の緩いアップダウンが続く。葉が落ちたこの時期、木の間越しに展望を楽しみながら歩くことが出来るので気持ちがいい。積雪も少なく、足が取られることはない。
このコースのほぼ中間地点にある木の実谷コース分岐。今歩いてきた行者コースは江戸時代には修験者や特別な人しか使えなかったそうで、一般民衆はこの木の実谷コースを使ったそうだ。2012年に一度このコースを歩いたことがあるが、お題目岩や慶松堂跡など、見所があるコースだ。当時は藪に覆われていたが、その後整備しなおしたそうなので、一度歩いてみては。
峠直下は微かに道跡が残る程度、急坂なので笹にしがみついて上がってきた。
ここにあった古い標識には木の実峠との表示があったが、新しい標識にはその表示はなくなっていた。ここに峠があったのなら、別畑に下りて行く道があったと思われるが、その痕跡は全く解らない。こちら側もかなりな急坂だ。
途中独鈷水のところに東屋(休憩舎)がある。その中にたくさんの石仏が並んでおり、長い信仰の歴史を知ることが出来る。石仏の多くが壊れており、首がないものが多いが、明治期の廃仏毀釈により壊されたものだと言われている。ここに別畑と書かれた道標がある。後で書くが、ここから別畑に下りて行く道があった。
休憩舎で軽い食事をとり、歩き出す。この辺りから少し雪が深くなってきた。30㎝ほどはあったと思うが、いくらか歩く人がいるようで雪が固く踏みしめられていて、歩きやすい。なお、この日は3組、計5人の登山者にお会いした。
独鈷水から少し上った所から視界が開けたので、写真を撮る。白山もはっきり望めた。
ブナの森の辺りから一面雪の中となり、吹き溜まりのところでは足を取られるところもあった。木の間越しに越知山山頂が見えてきた。
2時間40分、ようやく越知神社本社に着いた。少し時間が掛かりすぎた気もするが、途中軽い昼食を取り、雪の影響もあったので、この体調ではこんなものか。
殿池には薄い氷が7割ほど覆っていた。本社の辺りで大休止しようと思ったが、特に休めるところはなく、新しいトイレも冬季閉鎖中。休憩もそこそこに山頂に向かう。
千体地蔵は圧巻。小さなお地蔵さんがたくさん並び、その一つ一つに赤い小さな頭巾と前掛けが付けられているので、きれいだ。奥の院(山頂)に続く参道は石段となっているので、滑りやすいと思ったがそうでもなかった。
階段混じりの参道を通って、奥の院へ。ここが越知山の山頂だ。
お堂の横には三角点もある。三角点は頭が出ていたから、積雪はここでも30㎝ほどだろう。
帰り道、まだ歩いたことのない別畑に下りて行く道を歩こうかとも思っていたが、下りてからの林道歩きが長く、また車を置いた小川登山口までぐるっと回って行かなければならないので、足の具合もあり、敬遠した。なお、大正時代の福井県管内全図を見ると、尼ヶ谷や武周ヶ池から登る道と並んで、別畑から登る道が記載されているが、小川からの行者道や木の実谷の道は書かれていない。江戸時代には木の実谷コースが一般的だったようだが、明治以降になってからは、福井から参拝する場合、一番近いこの道が主流になっていたのだろうか。別畑の道を少し下りてみたが、道跡はしっかり解ったから、歩けないことはなさそうだ。帰りも2時間以上かかった。 |