日時

目的地

所在地

2017年1月27,29日

高須坂(仮称/約120m)

福井市高須町/同田ノ頭町

 行動日程

【1月27日】高須坂峠~石畳道(徒歩30分ほど)

 

【1月29日】古道取り付き~石畳道(徒歩20分ほど)

 参考資料

Web情報:国土地理院/基準点成果等閲覧サービス(三角点情報)

文献  :

 これまでの山行記録

 

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注:この地図はおおよそのルートをトレースしたもので、正確ではありませんので参考程度にとどめてください。最初はYahoo!地図の山岳表記に適した地形図が表示されますので、登山口へのアクセスを知りたい場合などは地図表示画面の上部にある地図ボタンをクリックして戴ければ標準地図に切り換わります。また、ラベル(吹き出し)のないマーカー(アイコン)にマウスポインターを合わせると、その地点情報が表示されます。この地図ではアバウトなルートしか解りませんので、詳しいルートは「地理院地図」をご覧ください。なお、地図上の赤線が1/27に歩いたルート、オレンジ線は1/29に歩いたルート、緑線は高須道(仮称)の推定ルートです

<< 注:赤枠で囲った写真にマウスポインターを当てると、ルート表示や説明が現れます。>>

福井市の北西にそびえる高須山は南北朝の争乱の時、南朝方に付いた新田義貞の家来である畑時能(はたときよし)が城(鷹巣城)を構え、わずかな手勢で北朝方の大軍に対峙し、1年以上も持ちこたえたことは有名だが、室町時代に高須町に大きなお寺があったことは知られていない。先日行った清水平町辺りの江戸時代初期の地図を眺めていたら、田ノ頭町から高須町を通り清水平町に至る道が記載されていた。その道は今高須町のほうに登っていくルートとは違っていたので、興味を持ち、その道を歩いてみたら、思いもかけない立派な石畳道を発見することができた。後で知ったことだが、この道が室町時代にあったという、その巨刹の参道跡だったようだ。

【1月27日の山行記録】


高須坂(仮称)を望む(国道416号線より)

福井市内から鷹巣海岸に至る国道416号線を走ると、左側に低い山が見えてくる。昔はその山を越えて高須に向かうルートが使われていたようだ。江戸時代の地図を見ると、現在高須に至るメインルートとなっている、市ノ瀬を通って高須に至る道は描かれておらず、田ノ頭から山を越える道が記載されている。その道(ここではその道を高須道、田ノ頭から登っていく峠道を高須坂と呼ぶことにする)を探そうと、田ノ頭にやって来たが、入口が解らなかったので、反対側に廻ってみることに。高須道は田ノ頭から山を越え、高須川が流れている谷に降り、川に沿って高須に至ったようだ。

高須坂への入口

山中に水田が広がる

高須川に沿って登っていく道(今は高須に至るメインルートとなっている)に廻り、高須坂の反対側に廻ってみると、山の中に入って行く道があったので、そこを登っていった。

最上部の水田から林道へ

林道の様子

そこを入って行くとすぐに水田が見えてきた。この辺りでよく見る山の中の水田だ。かなり広く、1町歩位はありそうだ。田んぼの中の道を一番上までやってくると、そこで道が細くなったので、車を置いて歩くことに。

高須坂峠(仮称)

そこから山の鞍部はすぐだった。ここからは下りとなっていたから、峠と言っていい場所だ。ここでは高須坂峠と呼ぶことにする。近年になって造られたと思われる広い道の横に細い道があったから、それが旧道だと思われる。

田ノ頭町へ下りて行く道

峠脇の石垣跡

田ノ頭町に下りて行く林道は荒れており、車両通行不能となっていた。峠状となった場所には石垣跡があった。昔はここに建物が建っていたのだろうか。

田ノ頭町に下りて行く旧道

田ノ頭に下りて行く林道の横に旧道らしき道があったが道跡は薄く消えかかっていた。

石畳道入口

峠状のところを歩く

古い地図ではどうも昔の道は今登って来た道ではなく、途中からまた一つ小さな山を越え高須川沿いに出ていたようなので、そちらのほうに向かう。そこには新しい林道が縦横無尽に走っていたが、少し掘れたそれらしい古道がまっすぐ山のほうに続いていたので、そこを歩いてみると、石畳の道が現れた。

古道は竹林の中へ

敷石の様子

ひどく荒れており、今は人も立ち入らないような場所だが、竹林の中に立派な石畳の古道がひっそり眠っていた。福井県内で石畳の道が残っているのは珍しい。私が知る限り、木ノ芽峠の途中に少し石畳が残っているのと、石川県の白峰に至る谷峠道にも少し残っていたくらいだ。道幅もかなり広く、一間ほどあり、昔はかなり重要な道だったことが解る。 

竹林の中にひっそり眠っていた石畳道

山中の田園風景

石畳道が出てきた所

石畳道を下りて行ったが、途中から歩ける状態でなくなったので、反対側に廻ってみたら、それらしい入口があったが、ここに出て来ていたかどうかは詳しく調べてみないと解らない。いずれにせよ、こんな辺鄙な山中にひっそりと立派な石畳道が残っていたのには驚いた。江戸時代にはこの道が重要だったのだろうと思う。

【1月29日の山行記録】

先日藪がひどくて、探索しなかった石畳道の続きを歩いてみた。先日は田ノ頭町側から歩いたが、今回は逆から辿ってみることにした。先日目をつけておいた旧道への取り付き(上記右側写真)は市ノ瀬町から高須町に至る車道の脇にある。写真では解りづらいが、左側の斜面に上に登っていく入口がある。そこから斜面に取り付くと、車道と並行に走る、1m幅ほどの切れ込みがあった。

古道跡

崩れた古道跡

その道は車道より一段上を並行に走っていた。その道を市ノ瀬町側に歩いてみたが、すぐに藪がひどくなり、歩けそうにないので、逆に進んでみた。

古道が出てきた所

上に上がっていく古道

道幅は1mほどで、先日歩いた石畳道に比べて広くはなく、途中何カ所か崩れてしまっている。しかし、切れ込みははっきりしていたので、それに沿って進んで行った。300mほど行くと、前に水田が見えてきた。高須に登っていく車道脇の水田だ。ここからまっすぐ進めばあぜ道のようになったところを通って車道まで出ることができる。

古道の様子

水田に出る直前に上に登っていく古道があった。道は1間ほどあり、どうも先日歩いた石畳道に造りが似ている。これが石畳道の続きだろうと、その道を進んでみることに。道には2、30㎝大の石がごろごろしていたから、ここも石畳だったのかもしれない。道幅は広く、造りもしっかりしている。

石積跡

しばらく行くと、道の下の斜面に石積みが現れた。これだけのものを造るにはかなりの土木工事だったろうから、昔は重要な道だったことが解る。造りは池田と武生を繋いだ清水谷峠の旧道や石川県旧山中町の杉水峠の旧道に似ている。

荒れた古道

そこを過ぎると、竹や倒木がひどい荒れた道となった。先日この藪を見て、Uターンした地点だ。

古道の敷石

そこを何とか通過すると、先日歩いた石畳道に出た。

竹林の中の石畳道

石畳道に合流し、今歩いてきたのが高須道だということがはっきりした。先ほど車道の一段上に並行して走っていた道は市ノ瀬からくる旧道だったようだ。石畳の道はその道より、はるかにしっかりした造りになっており、道幅も広い。田ノ頭町から山越えで高須に至るこのルートが昔はメインストリートだったことは間違いない事実のようだ。

古道が出てきた所

お地蔵様

帰りは、水田脇の道を通り、車道に出たが、ここから先に古道らしきものは見当たらなかったから、今車道となっているルートと同じようなところを高須町まで続いたのではないかと思われる。この後、高須町まで車道を走ってみたが、道の脇にたくさんのお地蔵様が見られた。高須町に登っていく生活道にしてはお地蔵様が多すぎる。高須町に特に信仰の対象となるものはないので、不思議に思い、調べてみたところ、高須町のホームページに「室町時代にこの高須町には、日本でも最大級のお寺があったと伝えられている。その大きさは現在の高須町より、上の池の川平(かわら)や仏の平(ひら)まであり、参道が田ノ頭町まで続いていた。その参道の一部は今も残っている。お寺の内部は、立派な伽藍や塔が建ち、また修行僧などの部屋が約三千もあったと言う。しかし、そのお寺の詳細についてなどの資料は残っていない。」と言う記述があった。今歩いてきた石畳道はその名残だったのだ。

旧道跡

お地蔵様

高須町に至る昔の道跡が残っていたのは高須町直前の上記左側写真の地点くらいで、昔の道のルートがはっきり解る場所は他になかった。

高須山(市ノ瀬町から宮郷町に至る道の途中より)

高須町の近く、宮郷川を遡ったところに宮郷町という集落があるそうなので、行ってみたが、途中から舗装路でなくなったので引き返した。しかし、途中から見た高須山はあまりにも富士山にそっくりなので驚いた。鷹巣富士と呼んでもよさそうなものだが、そういう呼称を聞いたことがない。ここから見る高須山の姿はもっと宣伝されていいかもしれない。

 

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