日時

目的地

所在地

2017年3月4日

天王坂(約100m)

牛越坂(約100m)

金堀坂(約60m)

丹生郡越前町天王

丹生郡越前町天王/同町牛越

丹生郡越前町天王

行動日程

泰澄の道入口11:10~11:20かやり地蔵11:20~11:30天王坂11:30~11:55牛越坂(周辺散策)12:28~12:30牛越坂(牛越側)旧道入口12:30~12:40牛越集落12:40~13:10牛越坂13:10~(旧道)~13:15旧道入口(丸太橋)13:15~13:35天王坂13:35~13:40かやり地蔵13:40~13:50泰澄の道入口

参考資料

Web情報:国土地理院/基準点成果等閲覧サービス(三角点情報)

文献  :

 これまでの山行記録

 2008.12.182009.5.202012.12.21

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注:この地図はおおよそのルートをトレースしたもので、正確ではありませんので参考程度にとどめてください。最初はYahoo!地図の山岳表記に適した地形図が表示されますので、登山口へのアクセスを知りたい場合などは地図表示画面の上部にある地図ボタンをクリックして戴ければ標準地図に切り換わります。また、ラベル(吹き出し)のないマーカー(アイコン)にマウスポインターを合わせると、その地点情報が表示されます。この地図ではアバウトなルートしか解りませんので、詳しいルートは「地理院地図」をご覧ください。なお、地図上の赤線が今回歩いたルートです

<<注:赤枠で囲った写真にマウスポインターを当てると、ルート表示や説明が現れます。 >>

泰澄の道は泰澄が幼少のころ、生家である泰澄寺から修行の場である越知山に通ったときに使った道だと言われている。今回はその一部、八坂神社から天王坂、牛越坂を通る区間を歩いてみた。泰澄寺から八坂神社までは平坦な道のりだが、ここから山道となり、最初に山を越えるのが今回の天王坂だ。

泰澄の道入口(八坂神社鳥居横)

コース入口の八坂神社鳥居横には立派な案内板がある。そのすぐそばに八坂神社の広い駐車場があったので、車はそこに置かせてもらった。なお、八坂神社がある天王という地名だが、八坂神社に元々祀られていた、牛頭天王(ごずてんのう)から来ているようだ。

真新しい林道を横切り山の中へ

旧朝日町が設置した泰澄の道の道しるべの横を通って中に入って行くと、すぐに真新しい林道があった。ここに案内板がなく、少し躊躇したが、階段を登ってまっすぐ行くのが泰澄の道だ。 

いきなりの急登

山に入ると、泰澄の道はすぐに急斜面を登るようになっていた。脇道もあったが、急斜面を直登した。この辺りは交通の要衝だったようで、新旧の道が何本も走っていた。その中でも泰澄の道は幅が狭く、一番古いルートのようだ。最初は竹藪の中の雰囲気のいい道が続く。

竹藪の中の姿の良い道

斜面にへばりつくように造られた道は幅が1mほど、昔はもっとあったようにも思うが、土が流れて狭くなってしまったように思える。

下にかやり地蔵が見える

少し歩くと、泰澄の道の一段下に道幅の広い切通しの道とお堂が見えてきた。そこに下りて行くと、お堂の中に大きな岩が祀られており、そこには微かな線で六地蔵が描かれていた。風化が進んでおり、お地蔵さんがやっと解る程度だった。案内板を読むとこの岩は元は5m上の泰澄の道の崖際にあり、それがここまで落ちてきたそうだ。そのため、地蔵様は逆さになっている。「かやり」とは福井の方言で、「ひっくり返る」の意味。「茶碗をひっくり返さないでね」は福井弁では「茶碗をかやしなんなや」となる。つまり、「ひっくり返り地蔵」ということだ。

かやり地蔵

地蔵さんがある場所は古い道の真ん中で、かやり地蔵の直ぐ後ろは深く掘れた切通しとなっており、金堀坂と呼ばれている。

かやり地蔵説明版

金堀坂

この辺りの道は昔は幹線道路として使われていたそうで、江戸時代に大々的な改修が行われているということだから、江戸時代には泰澄の道ではなく、この道が使われていたのだと思われる。

本来の泰澄の道は直進していたか

そこから天王坂までは急登で、新旧様々な道が縦横無尽に走っていた。今泰澄の道として歩いている道も一部はかなり広く、後世になって付け替えられた道だと思われる。上記写真のところで、道はつづら折りに登って行ったが、直進するところにも薄っすら道跡があったから、泰澄時代にはその道が使われていた可能性が高そうだ。

天王坂手前の古道の様子

峠の直前は本当に幅の広い、しっかり整備された道となっていた。これなら軽自動車くらいは通れそうだ。

木造仏

祠の中に木造の仏像が祀られていたが、かなり朽ちていた。

切通し前の様子

深い切通しの前にもお地蔵さんがあった。こちらは石づくりだ。

峠のお地蔵さん

天王坂の説明版

ここにあった説明板を見ると、「この峠はかつては鯖江市や越前市方面から八坂神社を通り、越知山詣ではもとより、旧糸生村を通って日本海に通じる重要な道であった・・・江戸時代に徳川吉宗の葛野陣屋が出来た時、天王坂は改修され、往来も盛んであった。」と書かれてある。この辺りは川沿いを行けば、特に山越えする必要はない。現に今の幹線道路は川沿いを通っている。しかし、昔は川沿いの道は氾濫などで流されやすいし、造りづらいから、山沿いの道が使われた。道は尾根に近いほど古い道だと言われている。また、山裾をぐるっと廻るより、山を越えて直線的に歩いたほうが近いという意味もあっただろう。

天王坂

天王坂は深い切通しで、深いところで7,8mは掘られている。やはりこれだけ規模の大きな峠は人馬の行き来だけで削られたものではなく、人工的に掘られたことが明白となった。

天王坂

 

林道に出る

天王坂を下りるとすぐに林道に出る。切通しは100mほどか。そこから先は昔の道跡が解らなくなっており、林道を歩くことになる。

林道を歩く

林道の脇にも何体かお地蔵さんが祀られていた。

分岐にあった標識

別の林道にぶつかるところに、標識があり、牛越坂は左に行くようになっていた。

牛越坂遠景

そこからしばらく歩くと、真新しい道路が見えてきた。上記写真の中央が牛越坂だが、道路工事で大きく削られ昔の峠の姿は解らない。なお、ここまで歩いてきた林道の右側に旧峠道入口があったが、標識がなく見落としてしまった。なお、その旧道は帰りに歩いたので、後述する。

泰澄の道標識

車道を歩き、牛越坂へ。お地蔵さんがある手前に階段があったので、登ってみる。あまり歩く人がいないようで、道の真ん中に枝が垂れ、歩きにくいところがあった。

階段を登ると古道跡が

そこを登っていくと途中に道跡があった。これが旧峠道だ。この道は後で歩いた。なお、この古道を少し入った所から左の斜面に取り付く道跡があった。そこを登って行けば牛越坂が越えていたと同じ尾根まで到達できるので、そこに牛越坂の旧峠があったのではないかと階段を一番上まで登り、その場所まで行ってみたが、峠らしき跡はなかった。

新道脇にあるお地蔵さん

新しい道の一番標高が高い地点に峠のお地蔵さんがあった。天王坂同様、かなり大きなお地蔵さんだ。

牛越坂から越知山を望む

階段の途中から越知山が見えた。昔の峠からも同じ風景が望めたと思われる。

新道から古道に登っていく階段

牛越集落のほうに進んで行くと、左側に階段があり、旧峠道まで登っていくことが出来た。

右に行くと旧峠道

 

旧峠道の続き

元の峠道は大岩の間を通って、旧道(現在の道の前に使われていたと思われる道)に合流した。

車道に出る

 

泰澄の道は牛越集落内を通る

舗装道を歩いていくと、牛越集落に出た。集落内にも泰澄の道の標識があった。

蔵王山

帰りは田んぼの中の道を歩き、新道を通って牛越坂に戻ったが、途中田んぼの中の道から蔵王山が見えた。泰澄の道は蔵王山を通っている。

牛越坂から下りて行く古道

牛越坂のお地蔵さんの前を通って、再度階段を登り、旧道を歩く。途中から掘れた歴史を感じる道となった。ここにも新旧二本の道が残っていた。

掘れた古道

 

古道はここに出て来る

旧峠道は小さな丸太橋を渡って、先ほど歩いた林道に出た。

古道入口

林道から見ると、旧峠道の入口は解りづらい。

金堀坂の道を下りる

天王坂を越え、かやり地蔵のところまでやって来た。帰りは先ほど歩かなかったかやり地蔵を通る道を下りて行った。

金堀坂の道はここに出て来る

泰澄の道は民家の軒先を通り、上記写真のところに出てきた。泰澄の道は流石に1300年の長い歴史を持つ道。道の変遷をこれほど身近に見られるところは少ない。貴重な歴史遺産だ。この後、車に戻り、越前町大谷寺の法度坂に廻った。

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