日時

目的地

所在地

2019年2月7~15日

大年峠(131m)

福井市大年町/同市四十谷町

 行動日程

古道入口13:55~(古道を歩く)~13:05老人ホーム跡地13:10~(古道を歩く)~13:15車道に出る(墓)13:15~(林道)~13:20車道に出る(峠近く)13:20~(林道)~13:35尾根13:35~(尾根上の掘れた道)~13:50大安禅寺道分岐13:55~(尾根上の掘れた道)~14:05民家14:05~14:10大年峠

 参考資料

Web情報:国土地理院/基準点成果等閲覧サービス(三角点情報)

文献  :

 これまでの山行記録

 

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【地図の説明】 この地図はおおよそのルートをトレースしたもので、正確ではありませんので参考程度にとどめてください。最初はOpenCycleMapが表示されますが、地図の右上にあるボタンにポインターを持っていけば「OpenTopoMap」、「地理院地図」、「空中写真(航空写真)」に切り替えることができます。また、地図上のマーカーやラインなどにポインターを持っていくとその地点の地名や名称などが表示され、クリックすると詳しい説明が現れます。地図上の赤線が今回歩いたルートです。

<<注:赤枠で囲った写真にマウスポインターを当てると、ルート表示や説明が現れます。>>


(2月15日の記録)

九頭竜川の下流部、日野川と交わるあたりの左岸域は昔は陸の孤島で、福井市街に出るためには舟渡が使われた。江上や岸水などに舟渡があったようだ。また、舟運があり物資が三国港や福井市街に運ばれた。大年峠は岸水に近く、内陸部から物資を運ぶ道として重要な役割を担っていたようで、立派な道が残っていた。

古道入口

大年峠の古道入口は四十谷町内の道路脇にあった。山が町中にせり出した尾根の先端だ。元の峠道入口はもっと広かったと思うが道路工事などで山は削られ、入口は山にへばりつくようにあった。

坂を上がっていく

坂を上がっていくとフェンスがあり、その下は崖で、民家がすぐそこに迫っていた。

古道入口からの眺め

坂を上ったところからは福井市街とその先に山々が望めた。この日は天気が悪く見えなかったが、天気が良ければ白山も望めたはずだ。

古道

崖の縁を回り込むように進んでいくと、掘れた土道が現れた。最初はあぜ道のようだったがすぐに立派な深く掘れた道となった。

坂の上からの眺め

坂を上ったところから、白い建物が見えた。大安寺小中学校だ。その横にある山の突端にも大年峠に至る小径が描かれているので確認しにいったが、発見できなかった。古道入口付近は道路工事で削られてしまったようだが、尾根にまで登れば道があると思われる。

古道の様子

あぜ道のような道はすぐに立派な古道となった。幅は広く、1間半(約2.7m)規格で整備されたのではないかと思われる。深く掘れており、深いところでは両側が5mほどの崖になっている。かなり使われた重要な道だったことが解る。ここを通って物資が船着場まで運ばれたのだろう。

古道の様子

古色然とした良い雰囲気の道が続く。今は歩く人もないようで、枝や葉っぱが降り積もっていた。

古道の様子

しばらく行くと、片側が崖になったところに出た。

広場にぶつかる

そこを歩いていくと前が開け、崖にぶつかった。古道然とした道は100mほどで終わりとなった。この上は空き地となっている。そこにあった階段を登っていくと空き地に出る。

老人ホーム跡地

ここに数年前までは老人ホームがあったが解体され、今は原っぱとなっている。この真ん中に道があったと思われる。古い航空写真を見ると、老人ホームができる前は田んぼだったようだ。この山域でよく見かける山の中に隠された水田だ。この辺りの九頭竜川河畔の集落は平坦地が少なく、米を作るために山を開墾して田んぼにするしかなかった。かなり広く、1町歩くらいはあったと思われる。

ニホンカモシカ

空き地の向こうに何やら黒い物体が見える。ニホンカモシカだ。全体的に黒い毛で覆われているが、顔だけ白い。冬季になると白くなるようだが、今年は雪がないのでこのようになるのだろうか。怖がることもなく、じっとこちらを窺っていたが、近づこうとしたら流石に逃げてしまった。

柵が現れる

空き地をまっすぐ歩いていくと、柵が現れ、今の続きだと思われる道が現れた。柵を開けさらに進んでいく。

古道の続き

先ほどの道と違って掘れていないが、道幅などは同じなので、先ほどの道の続きだと思われる。かなり平坦なので、車道として使われた時期があったのではないだろうか。先ほどの空き地には別のところから車道が上がってきている。

古道終点

その道も200mほど進むと崖にぶつかり終わりとなった。その崖をよじ登ると車道となる。

現在の大年峠道

この車道は四十谷町内にある白山神社の手前を左折し上がってきている道で、大年峠を越え本郷地区に通じている。一応車道となっているが道幅は狭く、ほどんど車の通りはない。しかし、一昔前は本郷地区と大安寺地区を結ぶ道路として需要があったのだろうか。大年峠部分は車道にするために深く掘られており、かなり大規模な工事が行われたと思われる。

車道脇にあった墓

そこには墓が一基あった。その横を通り道跡のようなものが残っている。その道跡もかなりひろく、沢沿いを進んでいた。前回その道を進んでみたが途中で道跡は消えていた。その道が昔の峠道だった可能性もあるが、その反対側の沢沿いにも道跡らしきものがあったので、それが先ほどの道の続きだったのかもしれない。何しろこの山域は人里に近く、縦横無尽に林道や小径が走っているので、どれが峠道として使われていたのかを特定するのは難しいし、時代によってルートが変化していた可能性も高い。

墓のそばから登っていく道

墓の近くに峠の方向に登っていく道があったので今回(2月15日)はこの道を歩いてみることにした。この道の形状は今歩いてきた道と似ていたが、道の脇に排水のために造られたと思われる窪みがあり、比較的最近造られた林道のような気もする。

林道の前が開ける

そこを登っていくと前が明るくなり、空地のようなところに出た。そこから道は平坦となった。道もかなり平坦にならされている。

道跡がはっきりしなくなる

平坦な道となると、道跡がはっきりしなくなった。ここまでは人工的にならされた感じがあったが、ここからは自然な傾斜の上に道がある感じで、それほど人の手が入った形跡はなかった。

道跡

それでもかなり広い幅の道跡が確認できた。なお、この道跡の下の谷筋にも道跡があり、それが昔の峠道だったのかもしれない。

車道に出る

この道もまた車道に出た。上記写真の道を右に100mほど進んでいけば大年峠だ

道の続き

今の道の続きらしきものが車道を跨いで続いていたので、そこを歩いてみる。

道はここで行き止まり

道は何度か折れ曲がって高度を稼いでいく。すると道が行き止まりになった。すぐ上に尾根が見えていたので、そこまでよじ登る。

尾根に続く掘れた道

すると掘れた道跡が現れた。この道は先日歩いたが大年峠近くから続く尾根道だ。古い地図を見るとこの道は現在の大安寺小中学校のところから登ってきている。破線でしか表示されていないが、かなり深く掘れており、昔はかなり使われていたようだ。この道の横にももう一本道が並行して走っており、そちらのほうがより深く掘られているから、付け替えられたのではいだろうか。この道は大安禅寺の奥の院まで続いている。道跡には獣の足跡があり、ひどくぬかるんでいる。途中イノシシのぬたばがあったからその足跡だろう。また、ニホンカモシカの物もあるかもしれない。

尾根道の様子

同上

廃屋

掘れた尾根道を進み、道が平坦になってくると右側に廃屋が現れた。昔作業現場でよく使われていたようなプレハブ小屋だ。50年以上は経っているだろう。このような小屋があるところを見るとそのころはまだこの道が使われていたようだ。この道は先日歩いたが大年峠近くから続く尾根道だ。

道が交差する空き地

そこからしばらく歩くと、少し広い空き地のようなところに出た。

大安禅寺のほうに降りていく道跡

ここで道は大安禅寺の奥の院のところから来た道に合流している。大安禅寺のほうに降りていく道もかなり深く掘れている。この道は歩いたことがあるので、ここで引き返すことにした。

大年峠の上の建物

今来た道を歩き、先ほど尾根によじ登った地点に戻った。そこから今度は反対側の道を大年峠に向かって歩いてみた。道はずっと尾根上に続いていたが大年峠のところに来ると、上記建物が現れた。生活感があり別荘として使われているのだろうか。

大年峠

そこから崖のようなところを大年峠まで降りた。現在の大年峠は深い切通しとなっており、深いところでは両側が10m以上の崖になっている。先ほどの建物は上記写真の崖の上にある。

峠のお地蔵さん

この峠にはかなり立派なお地蔵さんがある。今はこの場所にあるが車道にするために掘り下げられてあり、昔は先ほどの建物があったあたりに峠があったものと思われる。

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