日時

目的地

所在地

08年12月18日

越前自然歩道(武周ヶ池~越知山)

福井市畠中町~尼ヶ谷町

 行動日程

越前自然歩道(武周ヶ池から越知山)

武周ヶ池13:50~(車)~13:55二ツ屋林道入口13:55~(車)~14:00越知山登口14:05~14:13簡易舗装の跡14:13~14:23最初の林道出合14:23~14:33林道へ降りる14:33~14:36越知山下の駐車場14:36~14:42殿池14:42~14:50展望台15:00~15:05越知神社鳥居15:05~15:15越知山頂上(奥宮)15:15~15:45越知山登口15:45~(車)~武周ヶ池~(車)~16:00武周町(西雲寺前駐車場)

越前自然歩道(武周町から畠中町)

ルート1:武周町(西雲寺前駐車場)~民家(旧道入口)~一番目の金網(墓地)~二番目の金網~渓谷沿いの道~県道(畠中大橋)  (往復)片道20分ほど

ルート2:武周町(西雲寺前駐車場)16:43~16:45民家の脇から峠道へ16:45~16:48墓地(ここから山道)16:48~16:53小さな峠16:53~17:00謡谷町(最初の民家)17:00~17:10県道

 参考資料

地図:越知山     国土地理院2万5千分1地形図越前蒲生(金沢)
  :武周ヶ池    国土地理院2万5千分1地形図越前蒲生(金沢)
  :武周町~謡谷町 国土地理院2万5千分1地形図越前蒲生(金沢)
  :越前自然歩道のルート地図(武周ヶ池にあった案内板)

地理院地図(武周町周辺)を全画面表示  地理院地図(越知山周辺)を全画面表示

 

注:この地図はおおよそのルートをトレースしたもので、正確ではありませんので、参考程度にお使いください。地図上の赤線が越前自然歩道の推定ルートです。

越前自然歩道歩きを始めるに当たって、武周ヶ池にある越前自然歩道の案内板(ルートマップ)の写真を撮っておこうと思い出掛ける。ついでに越知山と金毘羅山にも登るつもりだったが、途中でデジカメの電池が入っていないことに気づき、一度家に戻ったため、金毘羅山へは行けなくなってしまった。私が住んでいる坂井市から武周ヶ池はかなり遠い。ルートも色々あるが、私は高屋橋で九頭竜川を越え、黒丸町のところを右折する裏道を使って明治橋に至り、日野川を越える。そこから西安居地区を通って、末町を通過し、道なりに進むとぶつかる県道福井四ヶ浦線を右折し、武周ヶ池に向かうルートを使っている。西安居地区を過ぎると、山の中の集落を縫うように走るようにため、かなり狭いところもあるが、道なりに進んでいけばそれほど迷わないだろう。最近はこの辺の道路も拡幅工事が進み、走りやすくなった。

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  クリックすると拡大します                     武周湖ダム     

風尾町のところから、武周ヶ池の看板を見て、左折し、武周が池に向かう。県道から武周ヶ池までは車で15分ほどだが、かなり道が狭いところもあり、注意を要する。県道沿いにあった案内板によれば、武周ヶ池まで続くこの車道は中部北陸自然歩道の『越知山と泰澄の道』に指定されているようだ。

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    武周ヶ池                クリックすると拡大します     

武州湖ダムが見えて来ると、そのほとりに今日の目的となる越前自然歩道の案内板が立っている。越前自然歩道については殆ど資料がなく、この案内板の地図が現時点では唯一の手掛かりとなっている(地図だけの拡大写真はこちら)。この案内板はかなり年季が入っていると思われるが、印刷も色あせておらず、地図も文字もきれいに見える。しかし、透明な板で案内板を覆っているため、写真を撮ると光が反射して良い写真が撮れない。普通に撮ると、カメラを持っている人間が写りこむため、この日は黒いゴミ袋をかぶって撮影した。それで何とか使える写真を撮ることが出来た。この日はこの案内板だけで、30枚近い写真を撮った。なお、このダムの水は水路を使って約2km離れた海沿いの蒲生まで行き、そこにある水力発電所で最大出力1,600kwの発電を行っていると言うのだから、見た目以上に大規模な施設だ。

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                        越前自然歩道の里程標

武周ヶ池から越知山に掛けては様々な案内板が残っており、さながら看板の聖地と言ったところだ。『中部北陸自然歩道』のものから、『越前自然歩道』、『泰澄の道』のものなど、新旧様々な案内板が林立している。少し先には『越前加賀海岸国定公園 武周ヶ池越前自然遊歩道 福井県』と書かれた古い案内板もある。その遊歩道の存在はよく解かっていないが、越前自然歩道が出来た時に、武周ヶ池周辺を散策する道として開発されたものだろう。泰澄の道は旧朝日町(現越前町)が指定した泰澄大師ゆかりの地を巡る遊歩道で、花立峠-越知山ー登山口(小川 )-大谷寺-朝日町八坂神社-泰澄寺の総距離26kmが指定されている。越前自然歩道の案内板の脇には越知山と書かれた白い杭もあった。字が消えかかっているが、よく見てみるとその横には越前自然歩道と書かれてあるようだ。更にその裏には殆ど消えかかっているが、『畠中町まで』と読める。越知山と書かれた下にもよく見ると『まで』と書かれてあり、その下には何kmとの表示があったようだ。これは越前自然歩道の里程標と考えてよさそうだ。ルートマップにも確かに畠中町に里程標があったことになっている。他の場所では越前自然歩道の痕跡が殆ど消え去っており、案内板がこれほど残っているのはここだけだろう。

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  越知山登山道に上がっていく分岐点にあった案内板

案内板のところから、武周ヶ池のほとりを500mほど行った先に、上にあがって行く林道(二ツ屋林道)があり、そこを上がっていくと越知山の登山道入口がある。勿論、この道は越前自然歩道だし、今は中部北陸自然歩道にも指定されている。ここからもう少し行った先には赤い鳥居の武周ヶ池神社があり、更に行くと武周ヶ池越前自然遊歩道と書かれた案内板もある。

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コンクリート舗装がされた林道を入っていくと、1kmほど行ったところにまた古い案内板があった。字が薄くなっているが、武周ヶ池の文字の下にかろうじて越前自然歩道の文字が読み取れる。3、40年は経過しているだろうから、こうして残っているのは奇跡に近い。

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そこから少し行くと『越知山登り口』と書かれた案内板が現れた。以前来た時はこの案内板はなかった。ここには1台くらいなら車を停められるスペースがある。今日も時間がなかったので、ここまで車で上がってきた。案内板の横を入ったところが登山道だ。最初は杉林だが、すぐに明るい雑木林に出る。ここは元の越前自然歩道であり、今は中部北陸自然歩道のルートとなっているが、道はそれほど整備されている感じではなかった。冬場は気にならないが、下草が刈ってないところがあり、夏場に来ると草がうるさいかもしれない。

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最初はゴロゴロ石が転がっているような登山道だったが、途中に明らかに越前自然歩道の舗装の跡だと思われるところが出てきた(上記写真)。舗装路面の上には小石や土、落ち葉が降り積もっているものの、茶色っぽい舗装路面がはっきり残っている。また、道の脇にはその舗装路面が崩れたものと思われる残骸も転がっていた。これが、鮎川町の土木会社の人が言っていたコンクリートに土を混ぜた簡易舗装の跡だと思われる。

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     殆ど風化していない舗装路面

更に進んだところには殆ど昔のままの状態で残っている舗装跡もあった。この後、登山道はかなり急坂になるところも出てくるが、そこにも舗装跡があったから、この登山道はずっと舗装されていたのだろう。しかし、急坂ではこの舗装路面は滑ってよくない。観光客のハイヒールならこのほうが良いかもしれないが、登山者には不評だったと思われる。

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登山道脇にはお地蔵さんも鎮座していた。このお地蔵さんには文化五年(1808年)と書かれていたが、越知山の歴史は7世紀にまで遡るため、それから見れば新しいものだ。頭のところに七丁と書かれた文字が刻まれているところを見ると、これは越知山までの里程標だったということになるが、このほかにお地蔵さんは見当たらなかった。越知山にはたくさんの登山道があるが、ここにも古い参詣の道があったのだろう。登山口より30分ほど歩くと、登山道は下りとなり、林道に飛び出す。この分岐には中部北陸自然歩道の道しるべがあった。

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林道を左に進むとすぐに広い駐車場が現れる。越知山までは林道を使って車で上がってこれるのだ。ここでそれほど多くの人を見かけたことがないから、これほど大きな駐車場は要らないようにも思えるが、何か祭りの様なものがあればたくさんの人で賑わうのであろうか。駐車場の脇から車道に上がっていく遊歩道にも簡易舗装の跡がくっきり残っていた。

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舗装された車道を200mほど上がっていけば、正面に殿池が見えてくる。ここは小広い広場となっており、横には越知神社の鳥居もある。

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  越知神社の鳥居              クリックすると拡大します  

この広場も案内板のオンパレードだ。越前自然歩道、中部北陸自然歩道、泰澄の道の案内板が所狭しと並んでいる。

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       クリックすると拡大します

越前自然歩道は越知山から花立峠を通り、六所山に登り、越前岬灯台に続いている。越知山から花立峠、六所山に至る経路については大体解かっているが、その先が全く不明だった。しかし、ここにある中部北陸自然歩道のルートを見ると、六所山を通って越前岬灯台までのルートが描かれており、これが役立ちそうだ。勿論、中部北陸自然歩道のルートは林道が中心となっているから、越前自然歩道のルートとは同じではないが、そのルートを歩いてみれば、何かヒントが見つかるかもしれない。 

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       登山道脇の無線中継所   

越知山の頂上は後にして、先に展望台のほうに行ってみることにした。展望台へは、殿池がある広場から西に向かっている林道を歩くことになる。坂を登りきると、無線中継所のある鉄塔が見えてくるが、その横を通って進んでいく。この日は鉄塔の点検整備をやっているようで、5、6台車が止まっており、数名の作業員が鉄塔の上で作業を行っていた。

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     越知山展望台               峠から六所山のほうに続く登山道

そこを過ぎるとコンクリート造りの展望台が見えてくる。その先にも道が続いているが、昔はここから花立峠を通り、六所山、越前岬灯台まで越前自然歩道が続いていたが、今は林道が出来たため、花立峠から六所山の間は越前自然歩道がズタズタになってしまい、一部しか歩けなくなってしまっている。 

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福井市街とその上に浮かぶ白山               文殊山方面       

ここからは、北は白山連峰から、福井・岐阜県境に連なる山々、南は日野山辺りまで、嶺北地方の山々の殆どが見渡せるが、この日は雲がかかっていて遠くの山はよく見えなかった。しかし、海側のほうは雲もなく、六所山など丹生山地の山々や日本海をきれいに望むことが出来た。

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六所山とそれに連なる山々及び日本海


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広場に戻り、越知山頂上を目指す。先ほどは気がつかなかったが、鳥居の横には『越知山再建記念碑』というものが立っており、昭和53年7月となっていた。その時に遊歩道の再整備がなされたとしたら、案内板などもその時建てられた可能性がある。その当時はまだ中部北陸自然歩道の指定はなかったから、越前自然歩道が生きていたことになるから、その時越前自然歩道の案内板が建てられたとすれば、他のところにある越前自然歩道の案内板よりも新しい可能性があり(越前自然歩道が出来たのは昭和43年頃だと思われる)、ここに比較的多くの案内板が残っているのはそのためかも知れない。

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越知山は「越の大徳」泰澄大師が若いころ修行した地であり、今はこの地に越知神社が立っているが、泰澄は白山を開いただけでなく、仏教を広めたことで有名であり、ここに神社があるのはちょっと不思議だが、明治維新期の神仏分離でここには神社だけが残ったのだろう。この近くの越前町には泰澄が晩年を過ごしたという越知山大谷寺というお寺があるし、泰澄の生誕地とされる福井市三十八社町には泰澄寺がある。

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拝殿、室堂、たくさんのお地蔵さんが安置された千体地蔵堂などを過ぎ、長い階段を登ると神宝殿が見えてくる。参道の脇にはたくさんの石仏や石碑がある。ひとつひとつ見ていたら、半日はかかってしまうだろう。今日は先を急ぐため、写真は割愛した。

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更に階段があり、そこを登って行くと、奥宮があり、ここが越知山の頂上となっている。しかし、展望台のあるピークのほうが標高は高い。社の横には三等三角点があり、標高は612.8mとなっている。

45.jpg尾根伝いに続く参道は土間のたたきのように固く締まっており、1300年の歴史を感じさせてくれる。

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46.jpg越知山から取って返し、武周町に戻る。越前自然歩道は武周ヶ池から武周町、畠中町、国山町を通り、金毘羅山に続いているのだが、武周ヶ池にあった越前自然歩道のルートマップによれば、武周町から畠中町に至る区間は今通ってきた車道ではなく、途中からもう少し山側(西側)の道を通っているようなので、その道を探索することにした。武周町にある西雲寺の前に駐車場があったので、そこに車を停めて、ルート調査を始めることにした。ここにはトイレもあり、ちょっとした観光地となっている。シダレザクラが有名なのだそうだ。 

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地元の人に越前自然歩道について聞いてみたが、案の定知らないとの返答が帰ってきた。かなり年配の人だったから、越前自然歩道が出来た当時のことを覚えていてもよさそうなのだが、かなり昔のことだから忘れてしまったか、もしくは関心のない人には見向きもされなかったのかもしれない。武周ヶ池にはあんなに大きな案内板があるのに・・・。しかし、その人に車道のほかに山側に道がないか聞いてみたら、用水路が通っている道がある、との情報を得たのでそちらのほうに行ってみた。道の入口が解からなかったので、山裾のほうを探していたら、それらしい道があったので、そこを歩くことにした。西雲寺の駐車場からだと、その道の入口は車道を県道のほうに100mほど戻ったところだ。そこに、上記左側写真のように民家へに入っていく細い道があり、この路地を突き当たると民家があるので、その庭先を通って進んでいくようになる。ここは今でも正式には道路なのだろうが、歩かれなくなってこの民家の庭先になってしまったようだ。奥さんらしい人がいたので、一声掛けて、ここを通らせてもらうことにした。そうしたら、ここの主人らしい人も出てきたのでお話を伺った。奥さんのほうは、ここに越前自然歩道が通っていたと言っていたが、ご主人は越前自然歩道のことは知らないがもう一本昔の道があるので、そちらのほうではないかと語っていた。その道は後で歩くが、この集落の裏山を越える峠道で、謡谷町を通り、畠中町に行くことが出来る。その道は地図にも破線が示されている。ここのご主人は昔は林業に携わっていたそうで、昔はここら辺の山々を駆け巡っていたそうだ。 

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お礼を言って庭先を通り、その家の裏に廻ると、細い道があり、その脇には用水路があった。その道を歩いていくと、墓地があり金網の柵があったが、これはイノシシ除けの柵なので、別に気にせずに通った。道は1mほどで狭い、おまけに用水路があるので、歩くスペースはほどんどない。

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山すそを歩いていくと、また柵が現れたが気にせずに進んでいく。山と川の間の狭い土地を利用して、畑が作られていた。 

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更に進むと、道は渓谷沿い(この渓谷は武周ヶ池から流れて来ている大味川)の断崖絶壁を削った狭いところを通るようになる。岩を削って造られたようなところもあり、この道を造るのにかなりの労力が要ったことだろう。昔は峠を通って謡谷町に行く道と共に、この道も頻繁に使われていたそうだ。この道を使えば大味川を渡らずに県道に出られるので、橋を造る必要がなく、こちらのほうが便利だったのだろう。今は用水路があって人がひとりやっと通れるようなところもあるが、昔はここに用水路はなかったそうだから、もっと歩きやすかっただろう。

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渓谷沿いの山道を抜ければ、水田に出てくる。この用水路はこの辺りの耕地を潤すために造られたようだ。白い家があるところを通って降りていくと、県道に出る。出てきたところには、近くに畠中大橋があり、もう少し行くと殿下郵便局があった。


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そこから来た道を戻り、西雲寺の駐車場に戻った。

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先ほど教えてもらったとおり、山を越えて謡谷町に行く峠道への入口は、西雲寺から武周ヶ池のほうに200mほど行ったところにあった。少し先に商店があるので、それが目印となるだろう。ここも民家の庭先のようなところを通ることになる。家に誰もいないようなので、道を歩いているおばあちゃんに聞いたら、そこは道だから勝手に入って行って良いといわれた。民家の横を通り、畑の中の道を山のほうに上がっていく。

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墓の前を過ぎると、山道に入る。もう日が暮れて来ていたので、行こうかどうか迷ったが、小さな峠道だから、30分は掛からないだろうと思い、思い切って行くことにした。道は荒れているかと思ったが、倒木も草もなく歩きやすかった。つづら折れの道を上っていくと5分くらいで、峠(山の鞍部)についてしまった。峠の辺りを見回したが特に道しるべやお地蔵さんはなかった(山の中は暗く良い写真が撮れなかったので、写真は割愛した)。峠には謡谷町のほうに降りる道と、尾根を西のほうに進んでいく道があったが、先ほどの人によれば尾根伝いの道は海岸沿いの茱崎(ぐんざき)まで続いており、昔は良く歩いたと話していた。謡谷町のほうに降りる道も荒れておらず、歩きやすかった。山から出るとススキ野原となっていたが、道の上にまでススキが覆っているところははなかった。その後、段々畑の脇を通るが、その辺りからはコンクリート舗装がされていた。しかし、残念ながら茶色っぽい簡易舗装ではなかった。

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そこを降りていくとすぐに民家が現れたので、ほっと一息ついた。かなり暗くなっていたが、幸い15分ほどで峠を降りてこれた。熊鈴を鳴らしながら降りてきたので、この民家の奥さんらしい人(50代くらいの女性)が気が付いて玄関先に出ていた。怪訝な顔をしてこちらを見ているので、「今峠道から降りてきたところなんです。昔の道を歩くのが好きなのもで・・・。この道が越前自然歩道だったと思うのですが、知りませんか」と尋ねたが、やはり知らないと答えた。「今はコンクリート舗装がされていますが、昔は茶色っぽい舗装じゃなかったですか」と聞いたが、「昔から今のようなコンクリート舗装だったと思う」という回答だった。この辺りに点在する集落も、かなり過疎化が進んでいると思われるが、ここはそうでもないようだ。こうして峠から降りてきたときに人の気配がするとほっとするものだ。国見岳、金毘羅山、越知山周辺の山の中を車で走ると、山深いところに突然民家が現れるので、びっくりさせられる。この辺一帯(丹生山地)は、昔は海と内陸を結びつける交通の要地だったから、文化が交流する場であったであろう、この辺りを歩いていて、その豊かさを感じ取ることが出来た気がした。

65.jpg謡谷町の集落内を通って県道に下りたら、すっかり暗くなっていた。帰りは県道を通って西雲寺の駐車場まで戻った。渓谷沿いの道と峠道のどちらが越前自然歩道だったかについては、どちらも魅力的で、判断に迷うが、武周ヶ池のルートマップを見ると、かなり山のほうを道が通っており、峠道のほうを一応ここでは越前自然歩道としておく。しかし、このルートマップはかなりアバウトなのでここから即断するのは危険だ。特にこの地図は越前自然歩道が一般道や林道と重なっていても、線を離して書く傾向にあるようだ。

 

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