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目的地 |
所在地 | |||||||||||||||||||||||||||
09年2月8日 |
越前自然歩道(運動公園〜安田町) |
福井市加茂河原町〜同安田町 | |||||||||||||||||||||||||||
行動日程 |
福井運動公園(越前自然歩道基点)〜久喜津橋〜福井市スポーツ公園〜安田町(山道入口) ≪殆どが車による移動≫ | ||||||||||||||||||||||||||||
参考資料 |
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注:この地図はおおよそのルートをトレースしたもので、正確ではありません。なお、原則的に下から3番目に小さい縮尺の地図に合わせているため、他の縮尺ではルートと地図にずれが生じる場合があります。地図上の赤線が今回の移動ルートです(今回は殆どが車による移動)。 | |||||||||||||||||||||||||||||
福井市内に行く用事があったので、越前自然歩道の基点となる福井運動公園に立ち寄ってみた。この日は風が強く寒かったものの、快晴で、素晴らしい青空が広がった。運動公園は昭和43年の福井国体のために造られた施設であり、越前自然歩道もその頃に指定されたものではないかと私は推論している。武周ヶ池にあった地図によると正門前交差点辺りが越前自然歩道の基点となっているので、その辺りを調べてみたが、何もその痕跡は残っていなかった。交差点を入っていくと正門になるのだが、その辺りにも越前自然歩道に関するものは何もなかった。正門を入り、直進すると白いモニュメントが立っていたが、これも越前自然歩道とは全く関係がなかった。越前自然歩道に関するモニュメントや資料が残っていないか公園事務所で聞いてみたが、案の定『越前自然歩道と言うのは聞いたこともない、何も解からない』という答えしか返ってこなかった。
陸上競技場や野球場のところを通って運動公園を突っ切り、裏門に廻る。ここから左に少し行くと小さな橋があるので、越前自然歩道はここを通っていたと思われる。橋を渡り、住宅地の中をほぼ直進的に進んでいくと、住宅地が切れ、水田地帯に達する。
そこには社西公民館があった。その横の道をまっすぐ西に進む。
すると、久喜津町に突き当たるので、町内の道を更に直進。日野川の堤防にぶち当たる。武周ヶ池にあった地図はこの辺のルート表示がアバウトなので、正確なルートを把握するのは難しいが、運動公園をほぼまっすぐに西に進んで来て堤防に出てくるこのルートは解かりやすく、遊歩道のルートとして最適だったと思われる。
日野川の右岸(通常右岸とは上流から下流に向かった時における右側の岸のことを差すらしい)堤防上の道を右に進み、久喜津橋に至る。橋を渡り、西詰で右折し、左岸堤防上の道を進む。
堤防上を進んでいくと、白山の写真を撮っていた人がいたのでお話を伺った。その人は60歳代くらいの男性で、このすぐ近くに住んでいるとおっしゃっていたが、越前自然歩道については全く知らないと言うことだった。福井国体の頃はもう成人していたので、国体のことは良く覚えているし、現に国体を見に運動公園に通ったが、そこに遊歩道の基点があったと言う記憶は全くないと語っていたので、越前自然歩道の基点表示は控えめなものだったのだろう。その方に、吉野ヶ岳はどこか聞かれたので、別山の手前に見えるピークがそうではないかと説明したが、後で地図を確認したところ、私が思っているのとは少し違っていたが、ここから吉野ヶ岳の頂上が見えることは確かだった。地図を確認したところ、吉野ヶ岳は下記左側写真の前衛に見える山(足羽山)の中央に微かに見える白いモニュメント(西墓地にある慰霊塔)の後方にあるピークのようだ。
その方によれば、吉野ヶ岳がここから見えるのなら、越前五山(白山・吉野ヶ岳・文殊山・日野山・越知山)の全てが見えることになると教えられた。その方が言う山をひとつひとつ確認していったが、越知山だけは確証がもてなかったので、後で確認したら、その方が指摘された山は越知山ではなく、その後ろに聳える六所山(ただし、六所山は越知山に隠れて見えない)の横に連なる鞍懸山と烏帽子岳のようだ。その場所から越知山は微妙に見えなかったが、そこから少し西に行った堤防上からは越知山を確認することが出来た。下記右側写真がそれだ。夕日が差し込んで見にくいが、遠方に聳える中央の山が鞍懸山で、そこから少し離れて左側にある平坦な高まりの一番右にある小さなピークが越知山の頂上のようだ。 (注)鞍懸山と烏帽子岳の名前は熊谷太三郎著『続 郷土の山々』による。
しかし、ここから越前五山が見えるなら、福井市内のかなりの地点で五山が見える可能性は高そうだ。私が住んでいる坂井市の中心部からでも、白山(私のところからは前衛の山に隠れて見えないが少し西に行ったところからは見える)、吉野ヶ岳、文殊山、日野山が見渡せる。なお、熊谷太三郎著『続 郷土の山々』を読み返してみたところ、その中には昭和30年当時の福井市庁舎屋上から見える山々のパノラマ絵図が掲載されており、それにも越前五山が全て載っていた。
堤防上の道を更に進んでいくと、日野川に流れ込む支流である志津川を渡るようになり、そこから道は少し右に曲がるように進んでいく。ここを直進しても安田町のほうに道が伸びており、そちらのほうが越前自然歩道の可能性もあるが、地図では一度川筋に近いところを通ることになっているから、ここを右に入っていった道のほうが越前自然歩道に指定されていた可能性が高いと思う。
日野川に突き出た小高い丘のへさきを削り取って造られた道の辺りではすぐ下を日野川の水が流れている。そこを少し行けば不死鳥大橋に出てくる。この橋は比較的新しい。この橋の上を通っている道を横切り直進すると、最近開発が行われている福井市スポーツ公園がある。
越前自然歩道は福井市スポーツ公園の中を突っ切って、安田町のほうにまっすぐ進んでいたようだ。道は安田町の手前にある未更毛川の上に架かっている安田橋を渡って町内に入っていく。この橋の欄干には昭和54年完成と書いてあったので、近くで作業をしていた方(男性・50歳代)に聞いたら、その時に古い橋を壊し、新しい橋を架け替えたと言うことだった。その男性は安田町の方で、越前自然歩道のことを知っていた。安田町を入って行ったところにある白山神社の前には案内板もあったと言うことだが、木製だったので朽ちてしまい、撤去してしまったと言う。越前自然歩道はいつ頃出来たのか聞いて見たが、明瞭な答えは返ってこなかった。ただ、案内板を建てたのは福井国体の時でなく、もっと後(2、30年位前)だったように記憶していると語っていた。越前自然歩道は安田町から山の中に入り、上の稜線を走る西郷林道まで続いている。昨年2月にこの道を歩いてみたが、2mくらいの道幅があり、山道としてはかなり立派なので、県や市が整備したのかと思ったが、昔からあった道で県はここを越前自然歩道として指定しただけだそうだ。昔は安田町でこの古い道の下草刈りをやっていたそうだが、最近は全く手を加えておらず、倒木や薮で道はかなり荒れている。
安田町に入ったところに白山神社があり、ここに昔は越前自然歩道の案内板があったそうだ。
神社前にある細い路地を入って行き、ぶつかって右折すると民家の庭に白い石塔があるので、そこを入っていくと山道への入口がある。
今日はここまで。昨年2月に雪の中を歩いた時も倒木が多く、道の荒れは気になったが、道幅は広く、雪がなくなって薮が出てきたとしても、歩けないことはないと思うから、近々また歩いてみたいと思う。途中にいくつかお地蔵さんがあり、歴史を感じさせてくれるいい道だ。昔は山ひとつ越えた東平町や柿谷町へ至る峠道として利用されていたようだ。
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