日時

目的地

所在地

2009年6月4日

越前自然歩道(大芝山~金毘羅山)

福井市下一光町~同)上一光町

 行動日程

越前西部4号線入口(一光隧道手前)~大芝山荘~追分の池~大芝山荘~三本松前広場~(三角点探索)~三本松前広場~林道のり面をよじ登ったところ~(越前自然歩道歩き)~林道のり面をよじ登ったところ~道祖神~金毘羅山(五三郎尾根側)登山口

≪注:今回は車での移動となったため、時間経過は省略した。寄り道せずに車で追分の池から金毘羅山入口まで走れば、20分くらいだろう。≫

 参考資料

文献:『福井市の秘境 国見嶽山麓』 坂井松見著

地図:国土地理院2万5千分1地形図 越前蒲生(金沢)

地理院地図を全画面表示で開く

 

注:この地図はおおよそのルートをトレースしたもので、正確ではありません。なお、原則的に下から3番目に小さい縮尺の地図に合わせているため、他の縮尺ではルートと地図にずれが生じる場合があります。地図上の赤線が今回の移動ルート(林道・越前西部4号線を車で移動したルート)、緑の線は林道脇に残されていた旧道跡(本来の越前自然歩道・一部推定含む)のルートです。

先日(6月2日)、待望の五三郎尾根(金毘羅山南東尾根)歩きを達成することが出来たので、その続きの金毘羅山から大芝山区間を歩くことにした。この区間は全て広域基幹林道越前西部4号線に取って代わられており、昔の越前自然歩道は残っていない。数年前の正月にこの林道を雪の中歩いたことがあるので、今回は車でこの区間を走り、めぼしい地点を写真に収めることにした。また、このコースの途中にある三本松には粁程標(里程標)があったことになっており、そこには三角点があるので、それを探すのがもうひとつの目的だ。今年2月に安田町から大芝山区間を歩いたときに、大芝山近くの追分の池まで歩いているので、今回はその追分の池から金毘羅山の五三郎尾根側登山口まで行くことにした。

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一光隧道手前の道を上がっていく

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大芝山荘の看板が目印

大芝山に行くにはいくつかのルートがあるが、福井市内からだと安居地区を通って、末町で右折し、一光隧道に向うのが一番近い。一光隧道手前100mのところに左に上がっていく道があるので、そこを上がっていけば突き当たったところが越前西部4号線だ。そこには一光山荘と書かれた案内板があるから、それが目印となる。この道の入口は非常に狭く、かなり急なので運転には十分注意してほしい。

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一光隧道入口あたりから福井市街を望む

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越前西部4号線にぶつかる

道は急で未舗装だが、路面はそれほど悪くない。5分も走れば越前西部4号線にぶつかり、建物が正面に見えてくる。

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大芝山荘

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林道には水溜りが

ここを右折すると、ちょっとしたリゾート地となっており、大芝山荘と書かれた建物や他にも別荘がいくつか点在している。また、大芝山荘の裏には池がある。この池について、越前自然歩道のルートマップでは「御満堂の池」となっているがこれは間違いのようだ。他の文献では「見万堂の池」となっていたり、「見満堂の池」となっていたりするが、郷土史研究家がまとめた『福井市の秘境 国見嶽山麓』という本では「見満堂池」と記載されているので、これを採用することにする。そこから一光隧道の上を通って大芝山のほうに進んでいくが、ちょうど一光隧道の上だと思われる尾根付近からは国見岳が真正面に望めた。しかし、この辺りは越前西部4号線の中でも一番路面が荒れているところで、大きな水溜りもあった。

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林道から国見岳を望む

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追分の池

そこから、大きな石がむき出しになったガタガタ道を行くと、前回来た追分の池に到達する。この池の周辺は公園として整備され、遊歩道もあるが、数年前にここら辺を散策した時は殆ど手入れがされていないような状況だった。昔は近くに水芭蕉があり、ハイキングを楽しむ人もいたのだろうが、今は訪れる人も少ない裏さびしいスポットに成り下がってしまっている。

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NTTの中継鉄塔

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快適な林道を走る

ここで折り返し、大芝山荘の前を過ぎ、少し行くと、右側に大きな鉄塔が見えてくる。これはNTTの中継施設だ。この辺りからは路面状況がよくなり、道の凹凸を気にせずに走れるようになった。

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青い小屋が表れる

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越前自然歩道跡か

平坦な道を1kmほど走ると、右側に青いトタン張りの小屋が現れた。小屋の外には水道の蛇口もあり、山仕事のための作業小屋というより、ここで寝泊りできそうな感じだが、最近は使われていないようだ。小屋の反対側の斜面には古い道跡のようなものがあり、越前西部4号線が出来るまではここに道があったようだ。越前西部4号線が出来る前の地図を見ると、現在の越前西部4号線とほぼ同じルートに破線が記載されており、越前西部4号線はその古い道をなぞるように造られたようだ。しかし、その破線の道も戦後すぐの地図には記載されておらず、戦後になって造られたようだが、それがただの林道だったのか、越前自然歩道として開発された道なのかは良く解からない。

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越前西部4号線の工事完成指標

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大きな広場が現れる

青い小屋から少し行くと、白い標柱が現れた。これは越前西部4号線のこの区間の工事が何年に完了したというしるしだ。標柱の数字が消えかかっており、昭和○十三年としか読めなかったが、越前西部4号線の工事は昭和60年から始まっているので、この指標は昭和63年に建てたられたものだと思う。林道終点までに同じような標柱が点在しており、平成3年、平成9年、平成12年、平成15年、平成20年のものがあった。この地点から林道終点まで4kmくらいだろうから、この20年間に4km、年に換算すればしか200mしか工事が進んでいないことになる(ただし、逆からも工事が行われており、3kmほど完成しているが)。越前西部4号線の総延長距離は13.2kmで、その内未完成なのは2kmくらいだから、計画をここでストップするわけには行かないだろうが、この調子で行けばまだ10年は掛かることになる。越前西部1号線から3号線は全て舗装されているので、ここも全線舗装するということになれば工事は延々と続いていくことになる。地図を見ると、この標柱の後ろのピークに、この日の目的となる三本松の三角点があるようだ。しばらく行ったところに大きな広場があったので、そこに車を停めて、三角点探しをやることにした。

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下一光に降りる林道

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平尾町方面に降りる林道

この広場には北(下一光町方面)に降りていく林道と南(平尾町方面)に降りていく林道が交差している。その平尾町に降りていく林道を少し入ったところから、三角点があると思われるピークに取り付いた。そこは杉林の中なのだが、下草や潅木が伸び放題だ。特に日の当たるところには足の踏み場もないほど雑草が生えている。三角点がある方向に向って歩くと、100mほど入ったところに少し高くなったところがあったので、そこら辺に三角点がないか探したが、見当たらない。15分ほど探し回ったがだめだったので、広場に戻り、再度地図を確認する。この場所で間違いないと思うのだが、念のため、今来た道を歩いて戻り、隣のピークに行って見た。

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三本松(三角点があるところ)のピーク

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工事指標があるところに出てきた

そこは先ほど通った青い小屋の前にあるピークで、そこを上がっていったが、どうも三角点のあるピークとは明らかに違うようだ。そのピークから西のほうを見ると、先ほど探索したピークが見えた。今歩いてきた道の曲がり具合やそのピークと谷の位置関係などから、先ほど探索した地点に三角点があることは間違いないことを確信。再度、先ほどのピークを探索することにした。今度は、工事指標があったところから100mほど東に行った地点から上に取り付いた。尾根まで上がり、周囲を見渡したところ、先ほど探索した奥にもうひとつピークがあったので、その辺を探すことにした。この辺りは雑草やブッシュがひどく、100mを歩くのにかなりの時間がかかった。

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三角点があるはずのピーク

この辺りは杉の植林地のようで、直径10~15cmほどの杉がまばらに生えていたが、下草刈がなされておらず、雑草が伸び放題だ。また、間伐された杉なのか木がたくさん倒れており、地面は全く見えない。20分ほどそこら辺りを探し回ったが、結局三角点は見つけられなかった。ここの三角点は三等で、点名:三本松、標高:463.86m、所在地:福井市大字平尾字平長窪1-2となっている。三角点は定期的に点検整備されているのかと思ったが、そうでもないようだ。なお、国土地理院が公表している基準点成果情報を見ると、1998年7月に現状確認を行っており、その時は三角点の標柱が傾いていたとの報告がなされている。ちなみに、このすぐとなりの大芝山頂上にある三角点を数年前に探した時があるが、その時も薮がひどく見つけられなかった経験がある。なお、今はブッシュが取り払われきれいになっている。

 

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林道からの眺めは絶景

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林道のり面の崖をよじ登る

三角点探しを諦め、先に進むことにした。車を停めた広場から200mほど行くと、南側の視界が大きく開け、旧清水町や越前町辺りにつらなる低山を見渡すことが出来た。上記左側写真の左のほうには白山も見えるはずだが、この日は霞んで見えなかった。数年前の正月にこの林道を歩いたときは福井平野の先に浮かぶ白山がきれいに見えた。福井平野の先に遠く浮かぶ白山は他から眺める白山とは一風変わっており、絶景だ。この風景を見られるのが福井平野の西部に聳える山々を歩くときの楽しみと言えよう。この辺で越前自然歩道がどうなっていたのかはっきりした情報はないが、越前西部4号線が出来る前の地図を見ると、稜線上を忠実にトレースした山道(または林道)が破線で描かれており、それが越前自然歩道だったと思われる。ここら辺りで越前西部4号線は稜線を巻くように造られており、越前西部4号線の上を本来の越前自然歩道が走っている可能性が高かったので、林道のり面の崖をよじ上り、稜線まで行ってみることにした。

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これが越前自然歩道か

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越前自然歩道を左へ進む

そうしたら、そこには素晴らしい林道が走っていた。上記写真がそれだ。この林道が越前自然歩道が指定された当時と同じかどうかは解からないが、その当時の雰囲気を知ることが出来た思いがした。越前西部4号線が出来て越前自然歩道がズタズタになる前には、このような道が大芝山から金毘羅山まで続いていたとすれば、素晴らしいの一言に尽きる。

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行き止まり

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左:越前自然歩道、右:下一光へ

その道を金毘羅山のほう(西のほう)に進んでみたが、2、300m行ったところで山の斜面にぶつかり、ここから先は草ボウボウで、進めなかった。しかし、その先にも道らしいものがあり、この道はこの後訪れる道祖神のある広場まで続き、今の越前西部4号線に併呑されてしまったものと思われる。元の地点に戻り、今度は逆のほうに進んでみたら、先ほど車を停めた広場に出てきた(上記oosibayama_konpirasan15.jpgの写真のところ)。

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コアジサイ

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同左の拡大写真

林道脇の日陰には上記写真のような花が所々に咲いていた。最近になって山に咲いている花の名前を覚えようと思って、少し花の写真を撮るようにしたが、花の名前は難しい、インターネットで調べてみたがよく解からなかった。アジサイに似ているのだが、同じようなものはなかった。ミズキ科の植物に良く似たものがあったのだが、特定できなかった(後で調べたところ、コアジサイという種類らしい。2009/6/24追記)。

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林道一面に黄色い花が咲き誇る

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 ハナニガナ??

また、越前西部4号線に合流する少し手前の道端や道の真ん中には黄色い花が一面に咲き誇っていた。地味な花なのだが、これだけたくさん咲いているときれいだ。こちらのほうはハナニガナという種類だと思うが、間違えていたらどなたかご一報いただければ幸いです。

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越前自然歩道が走る尾根

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露出した青い地層

越前西部4号線を通って、先ほど崖をよじ登った地点に戻り、そこから更に越前西部4号線を金毘羅山のほうに行くと、林道ののり面に青い色の変わった地層が浮き出ていた。最初は崖が崩れないように、斜面にコンクリートを吹き付けたのかなとも思ったが、林道路面にも同じ色の小石が散らばっていたから、自然に出来た地層だと思われる。下に落ちていた石を見ると砂岩か泥岩のようなものだったがよく解からない。

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ここにも青い地層が

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右側に上がっていく舗装道路

青い地層が浮き出たところを曲がると右のほうに、上のほうにあがって行く舗装した道がある。そこを上がっていくと広場になっており、道祖神が置かれてある。以前来た時は舗装道路の右に階段があり、そこから広場に登れたのだが、今は草ボウボウで歩けなくなっていた。

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大きな広場が現れる

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道祖神

舗装道路を回り込むと広場があり、その奥に道祖神が置かれてある。

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道祖神の案内板(拡大

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国見岳

この道祖神については案内板のとおりだが、福井県内では道祖神信仰は余り聞いたことがなく、珍しい。また、案内板によれば、この辺りに古い道跡があったと言うことだから、この尾根を越えて旧清水町側と一光側を結ぶ峠道があったのかもしれない。

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金毘羅山

道祖神がある広場は小さなピークになっていて見晴らしがいい。まじかに国見岳、金毘羅山が見えた。

 

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旧道(越前自然歩道)跡入口

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左の旧道はここに出てくる

そこから進んでいくと、何ヶ所か道が大きく曲がったところが現れるが、これは古い道のままでは傾斜がきつすぎて車が通れないため、道を大きく迂回させたものだ。そのところどころには、古い道跡がポッカリ口を開けているところがあった。

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これも旧道跡か

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金毘羅山登山口

二ヶ所ほど大きく迂回したところを過ぎると、金毘羅山登山口(五三郎尾根側)に到着する。ここは先日金毘羅山に昇った際に降りてきたところだ。

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NTT鉄塔への連絡道

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NTT一光無線中継所の鉄塔

帰りに一光隧道の反対側の写真を撮るために、NTT鉄塔を過ぎたところで左折し、中継所の前を通って、上一光側に降りていった。 

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一光隧道(一光側入口)

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一光隧道(末町側入口)

トンネルの一光側入口は雪崩から守るためかスノーシェードが造られている。中は一方通行で途中には待避所がある。反対側の入口は苔むして歴史を感じさせてくれる。トンネル入口上の一光隧道と書かれた額には福井県知事北栄造(在任期間は1959年4月23日~1967年4月22日)と書かれてあり、その在任期間中に工事が行われ完成したと取られそうだが、このトンネルは一朝一夕に出来上がったものではなく、明治にまで遡る長い歴史がある。このトンネルの上には昔、峠道があり、福井の街中から日本海に出る一番の近道だった。その道は蒲生街道七里と呼ばれ賑わっていたが急峻であったため、車は通れず、明治以降はここより南にひとつ山を越えた殿下道が主流となり、蒲生街道七里は廃れていく。一光住民は昔の賑わいを取り戻すべく、ここにトンネルを掘り、車を通す計画を立てた。トンネル工事は明治45年(大正元年)から始まり、数年後には掘削が完了し、末町と一光側が一本のトンネルでつながったが、トンネルは狭く人が通るのがやっとだった。このトンネルを車が通れるようになったのは昭和7年からだ。その後も改修工事が重ねられ、幅4m50、高さ4m50の現在のトンネルの原型が出来上がったのが昭和30年。その後も何度か改修が重ねられ、現在の形となったが、今でもこのトンネルは狭くすれ違いが出来ず、途中には待避所が設けられている。車が通れる安全なトンネルになるまでに実に60年の月日を要した。一光住民悲願のトンネルだったのである。(参考文献:『福井市の秘境 国見嶽山麓』)

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一光隧道の末町側入口脇にある旧道入り口

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旧道はここに出てくる

末町側入口を出たすぐ左には旧道への入口がある。昔はこの道を通り、更毛町に降りていったのである。帰りにその旧道の更毛町側入口に廻り、そこにあった道しるべのお地蔵さんを写真に収めた。このお地蔵さんは末町から更毛町の集落に入る手前の左側にあった。お地蔵さんが彫られた石の下には『右国見村大丹生行、左越廼村蒲生行』と書かれてある。右に行けば先ほどの一光隧道を通り、一光側に出て、日本海に面した大丹生(現福井市)に至り、左に行けば殿下道を通って日本海に面した蒲生(現福井市)に至ることになる。

 

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